黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

ようやくたどり着いた別世界

今週のお題「二十歳」

以前書いた私立X学園、小学校から高等学校まで12年居たのですが、高1くらいからそろそろ飽きて来ました。普通の大学に行きたいなあって思っていました。

18歳でその高校を出て、もちろん現役でも大学受験をしましたが全く歯が立たず、親に猶予を貰って、予備校生活に入りました。

毎日、B電鉄に乗って、東京は代々木ゼミナール(原宿校)の私立文系クラス、通称Ⅽクラスに通っていました。一番(アホで)のんきなクラス。森島という現代国語の楽しい先生や、早稲田の講師をしているやわらかい話が上手な石丸久先生、かと思うと、

「おはよう。ここはⅭクラスだな」と生徒を上から見る英語の先生も居ました。名前は覚えませんでしたが、彼の声は今でもよく覚えています。若者を馬鹿にするものではないですね。こういう大人にはなるまい、と思いましたから。

代々木ゼミナールは一年目は原宿校、二年目は代々木本校に通いました。定期で通い、ほぼ昼で終わり、池袋のB電鉄改札横のスナックインというスタンドで、170円のやきそば、空腹だと、200円の大盛り焼きそば、かなり旨かったので、ほぼ、いつも、食べていました。そのうち、左はじの方で、ラーメン、がメニューに加わり(230円)醤油ラーメンしかないんですが、これも美味かったので、気持ちの大きい日は、それに。

ラーメン、と、注文すると、少しお時間を頂きますが、と、親爺さんが断ってから、お湯の入った中華鍋に麺を入れて、その場でゆでてくれる。そういうの、とても好みで。スナックインは、もともとは立そばやなので、伸びた麺は避けたいくろやぎは、焼きそば、ラーメン専門でした。年間200回くらいは立ち寄っていると思います。

勉強には最後まで身が入らなくて、それも、私同様、いつも低迷していた、プロ野球パシフィックリーグ近鉄バファローズが、徐々に実力アップ、ついにパリーグ初制覇、南海さんからお借りした、大阪球場での江夏の21球もありましたが、それにもめげず、翌年もパリーグ連覇、そのためかどうか、週に1・2回あるNHKのプロ野球中継や、後楽園球場の巨人戦ラジオ独占中継の反動でJNNやNRN系のラジオネットから、セントラルリーグの一部他球場の野球中継を締め出された、当時のラジオ関東が必死に放送権を買ってきては、毎晩続けていたパリーグの、東京ではだれが聞いているかわからないようなカード(平和台球場の、クラウン対近鉄、みたいな)を俺が聞かなきゃみたいに、がんばって聴取者していたのもあり、そりゃ、勉強なんか身が入りませんですよ。自分が悪いんですがねえ。

2年たっても大して学力は上がらず、大丈夫かなあと不安80%思っていましたが、幸運にも世田谷区のとある大学に入りました。

ほっとしたなあ。

入学式の帰り、小田急線の車窓から見るさくらが、とってもきれいでした。