黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

山越えを二回したようなもので

一回目は、金谷駅の南から石畳の坂を上って諏訪原城址まで・・茶畑の台地を歩いて菊川坂(ここも石畳)を下ったとこまで

二回目は、菊川を越して国道?バイパスの下をくぐり、青木坂を越して久延寺・扇屋に至り、七曲りを下って日坂宿に至るとこまで

(登ってきた青木坂を上から振り返る)

 

島田市掛川市の境界線)

 

土曜日で店の開いていた扇屋さんのおばちゃんに

「もう登りはないから大丈夫だよ」と励まされたが、まだまだ距離は長かった。

(案内図は楽しそうに書いてあったが、当方に余裕はなかった)

あと、沓掛稲荷がどうしても見つからなかった事を合わせて報告しておきます。

日坂までは、ほんとうに、つらい道でした。

JR東海道線 金谷駅 から出発しました。

余りに久しぶりなのでぼんやりしていて、出発前写真は4年前のものです。

 

電車のガード下をくぐって、キツイ傾斜の道を歩きます。覚悟していましたが。

途中に、お地蔵さまがありました。

すべらず地蔵尊という、縁起の良い名称で、もう少し寒くなりと、地元の受験生の皆さんがいらっしゃると書いてありました。

ね?左側の石畳、急坂でしょ?

50分ほど登りますと、石畳が終わり、一面に茶畑の台地に出ます。

 

とても良い所にあったコーヒー店で小休止。

諏訪原城ビジターセンターで展示を見てから茶畑を延々と行きました。

この台地を淡々と歩けばいずれ楽になるだろうと考えていましたが。

それが甘かった。

 

 

実は、街道ウォークを、再開しました(金谷→日坂)

 4年前、大井川を徒歩で渡り、大井川鉄道新金谷駅、晩秋だった午後のひだまりで売れ残りのお弁当を食べ、疲れた脚を引きずって、標高の高いJR金谷駅まで歩いて、トンネルから出て来る貨物列車を撮影したのが最後だったように思います。

(すべてはあやしい記憶)

その後、嘱託員だったわたしは隠居になり、ルピナスはつとめにんのまま、

「金谷から山道だよねえ」

「小さい峠らしい」

「7~8kはあるみたいだよ」

「・・・・・」と話しながら、諸般の事情によりあとまわしになっていました。

ところが先週の月曜日の夜、ルピ、いきなりやろうというのです。

えっつ

隠居してから歩いてないし・・どうしようと思いましたが、

付き人として、(出来ない)とは言えません。

久しぶりに一日徒歩1万歩して、その日に備えました。

結果は・・・・(ものすごいアップダウンの山道でした)

月曜日の今日、家から全然出ていません。

 

 

 

田中信昭先生のご冥福をお祈りいたします

日本の合唱界を黎明(れいめい)期からけん引した指揮者の田中信昭(たなか・のぶあき)さんが12日午後9時40分、心臓死のため千葉県の自宅で死去した。96歳だった。

 

昭和57年から60年まで所属した大学合唱団が6月下旬ごろに行っていた(比較的大規模な)演奏会にいつも指揮者として来てくださったのが田中信昭先生でした。

柴田南雄などの現代音楽、人数が必要でステージだけでなくホール中を歩き回るような演出もあり、ぼくたちは遠慮してオドオドすることもあったけれど、先生は思い切りやるように指導され、良いのかなと、おそるおそる演じると

 

そういう人もいて良い

 

と背中を押して下さり、

 

音があやしい時は

もう一回行こう

うん、わるくない、

もう一回行こう

すばらしい、とほめて下さり、

 

あとは、本番に取っておこう

 

と言って下さると、私たちも安心したものでした。

 

いつも会場は、昭和女子大学の講堂でした。演奏会は練習時の何倍もの

やや現代的な音声空間が出来て、いつも先生には

 

すばらしい

 

とほめて頂きました。

 

10年ほど前、田中先生がお元気なうちにと、

東京混声合唱団の演奏会を聞きに行きました。

先生はすでに80歳を超えていらしたはずなのに、当方が学生の頃と全く変わらず

中幕のあとは、いつもの白い襟なしの定番の装いになりとても懐かしく思いました。

田中信昭先生のご冥福を、心からお祈り致します

 

 

令和6年の おコメ騒動

我が家でコメ購入担当者はわたしです。日頃、普通の日の午前中に買い物に行きますから、スーパーや生協など店舗はまだ人が少なくて空いている。他にもほしいものがあれば、5kもあって重たいコメは最後にして、買い物をしています。

4月の終わりころから、私の住む東京郊外でも、コメは棚にいっぱいあるものの、一番安いコメは(栃木米など)ふっとそこだけ、ない・ことがありました。

梅雨時(6月中旬ごろ)から、おひとりさま一袋で・という張り紙が出るようになりました。ま、今年はいきなり暑くなって、そのあともコメを大量に買う人は、目にしていませんでした。

コロナの最初の頃、(2020年の春)は消毒液、マスク、食料品を大量買いするあたしより年長者がたくさんいましたが、今回は週4回くらいスーパーに行ってもコメを買いだめしている人を全く見ませんでした。

そして端的に出たのは8月上旬の南海トラフ騒動です。

これは、政府の地震〇〇会が、いつかこういうことをやろうと言い合っていたのでしょうね、宮崎県沖というふだんそれほどでかい自信がない所だったせいか

それっつ、南海トラフだ、大地震が来るぞ、と、(私から見ると)騒いだのでした。

海水浴場がいきなり閉鎖されたり、海沿いの地方自治体が戦没者供養会を中止したり

これって、実際に大地震が来なかったのですから、一種の人災ですよね。

 

一挙にコメは来なくなりました。

農林水産省の広報や一部のマスコミはコメが一挙に無くなったことを

1 去年暑くて作柄が良くなかった事

2 コロナ明けで外人観光客が増えて外食産業の消費が増加したこと

をあげて、いま(9月後半)でも同様の理由をあげている大手小売店や、経済系のテレビ番組がありますが。

あたし個人の印象では、JAや関連コメ商社が、南海トラフ騒動を契機に流通ルートへの出荷を一挙に止めた、という感じが致しました。

 

きょう近所のサミットストアに行きましたが、時間がお昼頃だったせいか、棚は空でした。農林水産省は今後しっかり政策を見直して頂きたく思っています。