黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

久米宏さんに感謝

長年、TBS東京放送の看板アナウンサー、ニュースステーション等の司会進行役を行っていた久米宏さん(75歳:フリー)が6月一杯で、現在唯一の担当番組である(ラジオなんですけれど)を引退終了することになった。

 

久米さん、75歳なんですね。昭和19年生まれ、田中真紀子さんと同年代。話し方や頭の中身がそれほど変わんないんで思わなかったけれど、そうですか、引退ですか。

 

くろやぎ、自分の母親が昭和40年代、NHKフリークだったので、頭の中はNHKだけで、小学校時代のほとんどを過ごしましたネ。唯一民放を見たのは、不二家子ども劇場のポパイ、あとオバQ、フジテレビで始まったムーミンも見せてくれましたが、第1回でどうも違うなと思い、自分から見ませんでした。あと親が見ていたドラマで民放だったのは木曜20時のありがとう、第二シリーズ、山岡久乃水前寺清子の、看護婦さんのやつ、これは毎回見ていました。中原ひとみ親子が出てくるカルピスのⅭⅯがきれいだったなあ。

 

転機は、小学校6年生の夏にやってきました。有志で7石トランジスタラジオを作ろという、男子限定、大学生のおにいさん3人の監修コーチ手助けのもと、理科室に3日間こもって、AMラジオを作るというのです。トランジスタ7個ダイオード1個、おまえら、はんだ付けは瞬間でやるんだぞ、トランジスタ7秒、ダイオードは1秒でつけろと檄が飛び、3日後、めでたく、東京で一番電波の強いAM局、NHK第一放送590キロサイクル(昔の単位標記ね)音が聞こえました。うれしいねえ。

そこで、各局の受信状況を、、、確かめると、9という字の少し先に、良く聞こえるにぎやかな放送局があって。TBSラジオ、で、ありました。

この瞬間、親の管理下より、メディアを好きなだけ聞ける自由を獲得できたのです。

 

さあ、土曜日です。小学校は早くに終わるのですが、稽古事があって、帰り時間がいつも16時前くらい、自転車で焦って帰って来て。昭和47年の後半、TBSラジオは、「土曜ワイドラジオ東京 にんげんばんざい」というのを、16時まで?やっていました。お昼からなのか、午前9時からなのか、それまでのプロセスは全く分からないままエンディングの5分くらいを聴くんですね、永六輔さんの番組で、蝮さん、久米宏さん小島一慶さん、ニュースデスク、ひととおり一人30秒くらいの中にひとこと言って、親分の永さんがかかかかって楽しそうに笑って、ちょっと若いものに注意して、最後に若くてかわいい声の遠藤泰子さんが番組テーマ音楽に乗って出演者を紹介する、

出演:永六輔毒蝮三太夫久米宏小島一慶、ニュースデスク楽まもる、

TBS950キャスタードライバーグループ(そしてちょっと安どの表情で)遠藤泰子

これを、家で聴いてもしょうがない、そう思って、7石ラジオを自転車のかごに入れて夕日に向かって走りながら聞くというのを、やっていたんです。

この番組、けっこう、おとなのおふざけ色のある番組だったんですが、さすがに11歳の小6男子には、笑うセンスが全く分からなくて、むずかしかったね。NHKは万人向きでぼくにもわかったのですが。おとなの世界ってこういうもんなんだなって。たぶん、永六輔さんの趣味の世界だったんでしょうが。

 

プロ野球中央競馬、ジャズ、両親にない文化をたくさん持ち込み、6年後には、母親もTBSラジオを聴くようになりました。久米さんがメインになった土曜ワイドラジオ東京、女性アナウンサーの石井和子さんが優しい声でいい人だったなあ、あとおすぎとピーコが最高に楽しかった。

すずきくんのこんがりトースト、おはよう土居まさるです、こんちワ近石慎介です、みんなわくわくして、楽しかったですね。

 

だんだん、TBSよりもラジオ関東に移行して、そのうち、世帯主になって、近鉄を応援しながら文化放送を聴くようになって、11歳だったくろやぎももうすぐ60近く。TBSは民放の老舗ですが、昨日書いたラジオ日経同様に、放送局としての維持に対して広告収入が伸びず、お金のかかるらしいプロ野球中継もやめてしまったし、無類の聴取率首位を走ってきた大沢悠里さんの番組も終了して、週1になってしまうし、久米さんも引退。

もう、ラジオパーソナリティを生み出す、そういう要素が世の中にないのでしょう。個性のありすぎる人は個人的にボクは苦手で、久米宏さんもクセのある人でしたが、話し方にオブラートがあって、とてもよかった。芸人さんとか、テレビと同じだからね。小島慶子さんはかなり好きでしたが、毎日あの濃い内容の話をしていたら、4年も続いたのが奇跡のようで、長持ちしないだろうって思っていました。とんがっていたところも、周囲はハラハラしたろうしね。

久米さんがいなくなって、また、TBSを聴かなくなるだろうねえ。CDの時間が増えるんでしょうね。長い間、ありがとうございました。どうかいつまでもお元気で。