黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

おうち時間 という言葉自体がきらいです

今週のお題「おうち時間2021」

新型コロナウイルスが流行する前から、インドア派で、休日は家に居る時間が長いです。自宅にいる時は、パソコンでyoutubeを見る時間もそこそこ長いし、買い物をすることもあるし。本を読む時間にもなります。昔から愛読している、山口瞳さん、武田百合子さん、定年後の話がテーマの本もよく読みます。もともと一人っ子で、何でも自分一人でやる習慣が付いていますので、(今の言葉でいうと)「自助」は何十年も前から実践しています。

でも、家に居ても決して退屈しない一番の理由は、ラジオ(あるいはテレビ)があるからです。読書をしながらラジオを掛ける、スマホで野球の途中経過を見ながら衛星放送で自動車レースを見るとか、同時進行で何かをするというのがとても得意で、(本当は両方とも中途半端なことは分かっていますが)ラジオやテレビを使えさえすれば、家に居る時間は1975だろうと、2021だろうと、全く困ったことはないです。反対に拘置所の独房とかはムリでしょうね。ラジオがないから。

1975の頃は中三でしたが、毎晩のようにラジオでナイターを聴いていましたし、2021の今は、ちょうど今は手元にないけれど、二階の寝室に行けばラジオは大小3台あり、この後正午からニュースを聴き、昔の歌謡曲番組を聞きながら、ひいきのオリックスの試合運びをスマホで確かめる、ちょっとお昼寝も待っているという5月5日連休最終日をすごすことにしています。

ついでに言えば、(おうち時間)ということばと、(巣ごもり需要)という言葉がきらいであり、苦手でもあります。在宅時間と言い換えればよく、コロナ特需ともいうべきものであり、そもそも、おうち、という言葉を使うのはせいぜい小学校低学年あたりまでが限度であり、18歳以上の成人には当てはまらない、あるいは、ふさわしくないと思います。