黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

なつかしい春の日

誕生日を迎えて50代最後の一年になりました。まだまだ気持ちは30代と、自分自身は勝手に思っていても、身体は、反射神経は、確実に老人に向かっているのが実感です

ということを感じるようになったのは50代初めくらいで、10年前は子供も小学生でしたし、自分も若い?気持ちの、おとうさんのつもりでした。

でも、小学生の時って思いだすと、自分の周りには、両親のほかに、遊びに来る祖母や川崎の伯母がいて、のんびりした日々が適度に楽しく味付けされていました。特に今頃道端に春の草が伸びてくると、祖母は、散歩と言ってふらっと出かけては摘んできて、1・2時間ほどするとたくさんの草餅を作ってくれました。

専業主婦の母が珍しく出かけてしまい、祖母と二人になると、散歩に行こうといい、普段ぼく達が行かない電車線路の向こうまで遠征すると、名もないスーパーの棚をあちこちさがして小さなそば粉の包みを目ざとく見つけ、帰ると、そばぶってやるか(打ってやるから)と言って、これも手早くお昼は祖母の手打ちそばとなりました。くろやぎも30代のはじめ、山梨に単身赴任していましたが、土曜日の夜に突如そばが食べたくなり、夜を徹して手打ちそばを作ったことがありますが、手順はすべて祖母が作ってくれたそば打ちに準じていました。

祖母は栃木のいなかから東京に出てきて、祖父と一生懸命働いていましたが、戦災で祖父を亡くし、商売も無くなり、戦後は川崎市の学校で用務員をしながら5人の子供(といっても上の二人は大きかったけれど)を育て、ぼくを可愛がってくれた昭和40年代は60代半ばで、とても元気でした。栃木の人って愛想を言ったり自己PRはものすごくシャイで苦手だけど、実はいい人が多いんです。母親もぼくもそんな祖母の気質をすこしずつ受け継いでいるように思います。

 

朝出勤する川沿いの道で、よもぎがたくさん生えています。祖母が見たらよろこんで摘んでいき、草餅の材料になるのでしょうね。

1993年、ぼくが32歳の時、祖母は88歳で天に召されました。

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