黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

ここ5年くらいで一番の・・・・

今週のお題「すごいニオイ」にエントリしますね。

 

あたしのパートナーで街道ウォークの主宰者 ルピナスが夏の終わりに骨折して、17日間の入院から家に帰ってきました。一番はじめに依頼されたのは・・

「庭の草取りをして・・」

10年ほど前に職場からもらって来た、クローバーによく似た茎が伸びていく草が今年の夏、伸びにのびていて、9月下旬になっても衰える気配がなく・・・草取りはいつも彼女が自分でやってくれていたのですが、骨折で身体が急に不自由になったので・・

そのあと、長女が少しやってくれたのか、詳細は覚えていないのですが、何でも

「すごいニオイがする」

と、わたくしに(110番通報)され、どうれどれ、おとーさんが見てあげよう。現場をのぞいてみました。和室の濡れ縁の下です。びんが横になっていて中を覗くと、まるっこいむしがたくさんおだぶつになっていて・・

これがまたすっごいニオイなんですわ。死体が半分腐ったままガラスのびんのなかでそれ以上腐敗が進まずに止まっていて。

もうしようがないので、庭の水道でぱっと水洗いして、そのあと香りのよい洗剤を注入してもう一回洗って・・・ジャムの瓶くらいの大きさなのですが、どうしてそこに落ちていたかは謎であります。

武田百合子さんの、富士日記に出て来る、(あたまが悪くなるような、におい)ってこういうことを言うのではないか、と思いました。

短い文章ですが、読んでくださりありがとうございます。

皆さんの(すごいニオイ)の、書込みも、こわごわと読んでいます。

むかし見た紅葉 話の続き

JTB復古時刻表により、当時のことを再現しますと。

最初に母、伯母と乗ったのは上野発12:23普通列車 黒磯行

これは電車で、黒磯には15:46に着いている。

 

乗換えた茶色い客車の鈍行は、黒磯発15:49 仙台行

これは母の記憶では(SⅬ牽引の)普通列車

郡山には17:22に着いている。11月の17時過ぎなら真っ暗であろう。サーチライトと駅舎の記憶に合う。

吾妻スカイライン→現名称:磐梯吾妻スカイラインを通ったであろう観光バスも、復刻時刻表で発見することが出来た。

運行は福島交通で、ばんだい号コースの標記があり

郡山駅発8:30→檜原湖→浄土平などを経て、福島駅から飯坂温泉まで行っている。

終着が17時。大人料金1480円。有料道路代を含めたとしても、東京からの2等運賃860円に比べて、やたらに高い。未就学児だった自分も、座席が指定だったこともあり、父は半額くらい払っているような気がする。

時刻表には吾妻スカイラインとして観光バスコースが長短あわせて8コース用意されている。いずれも4月から11月13日までの季節運行のようでした。

また、同スカイライン経由の福島~会津若松間 路線バスもあり、福島交通会津乗合の共同運行、区間運転除き一日6往復、片道5時間、運賃900円。今も昔も、(東京モンから見ると)地方の交通運賃は高い。

 

とても込み合っていた福島交通飯坂線(電車)15分から20分間隔で運転され、所要時間はおおむね18分くらい、大人運賃は50円(観光バス代に比べて何とかわいい金額だろうか)

 

盛岡駅始発の特急やまびこ:当時は8時50分発、電車特急で7時間あまりかけて、上の到着が夕方の16時。でも電車ですから早いですね。8時ちょうどに盛岡を出発した81系気動車特急、はつかりの、50分後に出発し、花巻、水沢、一ノ関で1分とか2分とか停車していながら、仙台到着は、はつかりの6分後であり、無停車で全力を出したら、間違いなく追いつくスピードでありました。

食堂車でいただいた紅茶は70円、当時ソフトドリンクで扱っていたのは

牛乳(砂糖付)40円 コーヒー・紅茶 70円 オレンジジュース 60円

トマトジュース・コーラ 70円 

サイダー・シトロン(三ツ矢サイダーリボンシトロンの違いであろうか)50円

そのうち、牛乳はなまものですので、数年後に扱わなくなったらしく、昭和46年にはつかりに乗ったとき、父が食堂車に連れて行ってくれましたが、すでに牛乳はなく、父はトマトジュースを飲めと言いましたが、私は苦手で、先に自分の座席に帰った記憶があります。夏の朝8時過ぎだったせいか、食堂車は混雑していて、なかなか席が取れなかったですね。

盛岡→上野、じゃないや東京電環まで2等運賃が1700円 特急料金(含指定席)2等800円 合計2500円。

6年後 はつかりに乗ったとき、両親の切符を確かめると(小学校高学年ですので)

盛岡→上野 普通運賃2150円 特急料金1000円 合計3150円

昭和40年代は、物価の値上がりが、と、常に言われていましたが、国鉄の運賃・料金にもそれは反映されていたようです。1等・2等からグリーン・普通への料金体系の変遷もありますし。

いずれにしても随分と昔になりました。今でも東北新幹線には仙台行や盛岡行の列車にやまびこという愛称が使われていて、うれしいですね。

 

 

 

むかし見た紅葉

今週のお題「紅葉」にしたがって・・・・・・・・

 

昭和40年ごろ、ウチノ父親はどうも思い切りのよいこと全盛期だったように思います。父はオートバイのメーカーに勤めておりまして、会社はその後4輪にも進出したりサーキットを作ったりするのですが、(創業者の趣味もあってね)とにかく、どこか遠方に出張のたびに、理由を作って家族を呼び寄せて、ついでに遊んで、って調子でした。

この時は、福島県郡山市に出張で、家族+1名(私、母親、川崎市に住む伯母)が後から追いかけました。昭和40年ごろの郡山ですよ、まだ東北新幹線はありませんから在来線の方の、東北線上野駅を12時ごろ各駅停車、緑とオレンジ色の黒磯行にのり、わいわいおべんと食べて、さあ、黒磯に着いた。11月上旬ですから、ホームにあたたかい晩秋の夕日がさんさんと照っていて、乗り継ぎ列車に跨線橋を渡って乗換えるのですが、あたしはまだ4歳ですから、二人の大人に引っ張られるようにして、あがって、おりて、茶色の客車列車に乗り込むのです。

そこで記憶が途切れ、気が付くと日はとっぷりとくれて、車内は20wくらいの白熱灯がクリーム色のカバーに覆われて、薄暗く、お客さんの顔もよく見えないくらい、よく連続テレビ小説とかで、夜汽車のシーンがあるでしょう、もう、あんな感じです。ボオオオオって、SⅬの汽笛まで聞こえて。

着いたばかり郡山駅、横に長い駅舎、サーチライトが夜空に光り、オレンジ色の大きな字体で郡山駅と、確かに書いてありました。さむいなあって、東京より少しばかり明かりがないなあって。

次の朝、もう父親と合流(出張はどうしたんだあ??)大きなバスに乗り込みます。くろやぎ、生活環境に路線バスとかなくて、このバス、でっかい窓の観光バスだったんですが、それだけで感激しました。紅葉を見る、というのです。くろやぎは小さくてよく見えないといけないから、と、茶色の古びたボストンバックをシートの上にのせ、その上に座ることになって。

バスは(吾妻スカイライン)という有料自動車道路を、ゆっくり、登って行きました。そのまあ、山肌にある木々が、全部、紅葉なんですよ。もう、あたしの瞼に焼き付いている、あか、きいの葉の色とピーッカンの青空、皆さんに見せてあげたいくらい、美しかったです。快晴ですから、光の量も半端なく、下から見る紅葉の葉、むちゃくちゃ綺麗で・・・山道が永遠とも思えるほど続いて、光景が変わるたんびに、大人たちの歓声で車内が一杯になるのでした。令和の現代なら、きゃあきゃあ騒ぐ若者や女子はたくさんいますが、昭和40年ですよ、戦争終わってまだ20年、みんな我慢強くつつましい大人ばっかりだったのに、うわああ・・そのくらい、紅葉凄かった。くろやぎにとってホントに一生もの紅葉狩りでした。

観光バス、福島駅に着き、その晩は飯坂温泉へ。いまでもある、福島交通という電車で行ったのですが、2両編成の車両が半端なく込み合って、あたしは父におんぶされて。その時の大人たちの姿と、はめ込み式の扇風機の形状を今でも記憶しています。

旅館に着いて、部屋に入ると、テレビ大好きなくろやぎは、当時18時代にNHK総合テレビでやっていたドラマを付けようと、飛んでいきました。真空管だったであろうテレビは意外に早く付いたのですが、東京なら常識の1チャンネルに何も映りません。伯母がすかさず「1番じゃないじゃないの?」と、チャンネルをぐるっと、回してくれました。随分回した先で、NHKが映りましたが、ドラマは最後の、主人公のお姉さんが振り向くときでした。くろやぎ、好きな番組が終わるときって駄目で、うへええええって泣いてしまう癖があり、(そのころね、今は大丈夫)べそをかいて、伯母に抱きついた記憶があります。そして、東京の常識が全てではないことも、4歳のこの時学びましたね。アナログ放送の頃、総合テレビが1チャンネルなのは、東京と山梨県甲府市だけだったと聞いています。

ここまで、鮮明な記憶があるのに、福島市からどうやって東京に帰ったかを、全く覚えていないンですよ、私は。反対に、父親の故郷に盛岡駅から、始発の電車特急「やまびこ」にあさ、乗り込んで、食堂車でレモンティーを飲んだ記憶があるんです。この4人で。だから、もしかすると、福島から長躯盛岡まで移動し、父の実家にも行って泊り、(あのころシティホテルはほとんどなくて、まだ泊るのは旅館だったし)やまびこに乗って東京に帰ってきたのでは?と、想像しています。残念なことに、両親も伯母も亡くなり、もう空の上の人なので、聞いて確かめることが出来ないでね。

きょう、11月26日は父親の誕生日です。

生きている間大して親孝行も出来なかったから、せめてブログでほめてあげようと思って、あの吾妻スカイラインの紅葉は、その後何度も家族の話題になるほど、とてもとても美しい、一生ものの紅葉でした。連れて行ってくれた父に感謝です。

今日も長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

目覚めの音楽 のつづき

前回は布団から出られなくなったので、目覚めの音楽をスマホに入れて、という話を書いたのでしたが、喜歌劇こうもり、の、序曲について、まだ書いていませんでした。

この曲、NHK-FMの(オペラアワー)というかつてあった番組のテーマ曲に使われていました。

くろやぎの両親、特に母親が、NHK大好き、だったので、昭和40年代、50年代、60年代も入れてもいいのかな、大量のテレビ番組、ラジオ番組を見て、聴いておりました。茶の間で一日中かかる(NHK東京第一放送)7時前からの夕食の際に見る、(今晩の番組から)(天気予報)(7時のニュース)今晩の番組から、で、担当のアナウンサー名が出ますので、日替わりで担当する女性アナウンサー名を覚え、天気予報では、日本気象協会の、いかにも理系然とした、いかつい表情の予報官?おじさんが、晴れ、くもり、雨の書いたマグネットを関東6県の地図の上に張りながらですね、ぼそぼそ、淡々と解説するのでした。

7月、8月になると、山の天気、ってのが加わり、富士山、南アルプス北岳中央アルプス穂高槍ヶ岳、そして谷川岳、各山岳の地図にカメラがズームアップするのでした。谷川岳は最後なのですが、北アルプスから谷川岳まではボードの距離があるのか接近するカメラのスピードが速い、きっと、カメラマンさんが、緊張なさっているのが伝わるのでした。当時、谷川岳は遭難が多く、怖い山でした。

7時(19時)になると今日のニュース、大塚利兵衛アナウンサー、西沢アナウンサー(名前の方が思い出せない)平光淳之助アナウンサー、この三人が、日替わり担当。アナウンサーの名前が、名札立てに入っているのですね。ニュース原稿を隠すために。

子供は漢字が読めませんから、アナウンサーの読み方はおふくろに聞いて覚えるのです。まだ赤裸々なニュースが多くてね、ベトナム戦争の頃ですからね、北海道の小さな漁船が、ちょっと線を越えちゃって、ソ連に拿捕されたとか。子供心に(ソ連につかまる)とってもこわーーい報道でしたねえ。

何の話だっけ?そうそう、オペラアワー。放送時間はオペラの内容によるのですが、午後3時~6時くらいまでなんです。テーマ曲が、こうもり序曲。

担当が大ベテランの後藤美代子アナウンサー。張りのある高音で端正な声、ていねいな語り口、昭和28年のテレビ放送開始一期生のアナウンサーで、ニュース、天気予報、司会進行、クラシック番組の担当、何でもおやりになるすばらしいアナウンサーでしたが、まだ子供の頃は女性アナウンサーがニュースを読むことはなかったような気がする

で、3時になるとテーマ曲、こうもりの第一主題がはじまる、10秒くらい

後藤さん(オペラアワー)

第二主題が始まる

(日曜の午後のひと時、オペラの全曲〇〇録音で、ゆっくりとおくつろぎ頂くオペラアワー)

(きょうも、オーストリア放送協会提供の、ステレオ録音でお送りいたします)

後藤アナウンサーのこの声を聞いて、安心して、お昼ねに入るわけです。

なつかしいなあ。ですから、オペラの内容は全く聞いていないのでした。

5時45分くらいになると、もう一回、NHK-FMをかけて、

(では、今日のオペラアワーはこの辺で。みなさま、来週のこの時間まで、ごきげんよろしゅう)とかなんとか、終了のアナウンスがあると、また安心して。すると、こうもり序曲の中間部分が、時間のある限り演奏され、午後6時の時報になり、次の番組、石田豊さんのリクエストアワーになるわけです。

くろやぎはオペラファンでも何でもなく、ただ、後藤美代子アナウンサーの端正な声が聞きたい、さような理由で、3時になるとラジオを掛けていました。

昭和40年代の後半から、やや官僚的で窮屈なNHKばかりが放送ではないことに開眼した?くろやぎは多方面に放送を聞くようになりました。TBSエキサイトナイターとかラジオ関東とか。でも昔のNHKの真面目な声のアナウンサーは今でも大好きです。今だと、たぶん、定年をお迎えになったはずですが、森田美由紀さんは、私の子供の頃のNHKのアナウンサーの香りを持ち続けている貴重な方で、大好きですね。月に一度担当されるラジオ深夜便、土曜日の23時5分になると、ラジオ深夜便を聞くのではなく、森田アナウンサーのお声を拝聴いたしたく、3分程かける、24時少し前になってまだ起きていると、(あすの日の出の時間、札幌5時〇〇分、仙台5時△△分、東京は・・)を聞いて、ニュースになると消す、なんてやっていますね。この、つまみ食いの番組聴取法は、ちっとも変っていません。真面目で端正なアナウンス、声の響きもよく、急に早口になったりするところもとてもよいです。でも、定年でしょ、こういう良い方は、地位のある方は、ご自身の出番は減って、(後進の指導)とかにあたられたりNHK学園などに早く転出されますから、いまのうちに、よく聴いておかないと。NHKのばあい、好みの方ほど消えるのは早く、大好きな番組が改変されるたびに、くろやぎの中での番組の魅力は3割方減少するのは、長年のNHKへの観察でよく分かっていますので。急がなきゃ。データを残しておきましょうか。どんなに探しても、後藤美代子アナウンサーの肉声はいまのところネット上に発見できないのでねえ。

女子アナウンサーという方々も随分変わったと言われますが、NHK出身者でも、その後参議院議員になった方、玉の輿に乗った方、私学の理事長になった方、上昇志向の方が多くいらっしゃいます、以前は、そういうの、やだね、と、思っていましたが、よく見ていると、アナウンサーの地位・評価の低さ、年齢による身分の不安定さもあるんでしょうねえ、極端だもんね、人間だれしもベテランの方が上手いに決まっているのに、この世界はそうじゃないから。かといって、みんなが宮崎緑さんや畑恵さんになれるわけでもないし。大変ですよねって、今では思います。

と言っていたら、土曜日のお目覚め音楽がポケットのスマホから鳴り始めました。きょうは、バッハを予約設定しておりました。あしたは、日曜日だから、こうもり序曲を、スマホにお願いしましょうか??

長文、お読みいただきありがとうございました。

またおいでください。

 

布団が暖かい季節

9月末か10月の初めくらいまで、とっても暖かくて、暑いくらいで、昼間の気温が24度あたりまで来る日が、あんなに沢山あったのに、今や布団から出るのがつらい季節になりましたね。それも、東京の場合、いきなり。

骨折から退院したあと、ルピナスも本当は早起きが得意ではないはずなのに、外が明るいせいか率先して目覚めてすぐに朝の活動に入っていましたが、このごろ、私たちの起床時間よりも日の出の方が遅くて、布団の暖かさもあって、なかなか起き上がれなくなりました。

そうは言っても、二人の出勤時間は厳然としてあるわけで、くろやぎとしても、対策が必要になりました。おとなの世界、起きられませんでは済まないのです。

あたしはスマートフォンで目覚めることにして、アプリを探したところ、ユーチューブに公開されている曲をそのまま使えるアプリというのを見つけて、先週から使っています。

目覚めの良い曲、少なくともピアノ演奏の方が、すっと起きられそうな気がしまして。

1ファミマ変奏曲 と、勝手に呼んでいるもの

ずっしーの音楽教室というシリーズにあるもので、電子ピアノで、ファミリーマートに入店するとかかっている(ミドソドレソ、レミレソド)というあの曲に左手のコードを加えていくというもの。1分半ほどのうちに左手の伴奏が重厚に。

2クリスマスメドレー

原田ありささんというピアニストが連弾で弾いているシリーズ。(異邦人)(星野源)(100%勇気)最近での曲も先ほど見つけましたが、もう一人の編曲者・パートナーとの連弾もの。1年以上前から時々聞いていたもの。

3バッハの協奏曲

一昨日見つけたハープシコード協奏曲、シフというハンガリーの老ピアニストの演奏でしたが、自分で持っているCDのと違和感なく聞けるので入れました。

あと、喜歌劇こうもり序曲、なんていうのもあります。こちらについては次回、お話ししますね。木曜日は何故か、睡魔におそわれるのが、いつもの平日より早いようです。

おやすみなさい。ご覧頂きありがとうございます。