いい所にコンビニがあり
とはいえ、道を大幅に間違えたのはショックでした。
1付き人の俺としたことが、2それを通りがかりの方に指摘されるまで気が付かなかったこと、3その人の持っていた本が改訂版だと一瞬にして悟ったこと。
いつもロードマップのコピーを持ち、それに黄色のコースとピンク色で立ち回る場所をマーキングしていたのにそれもやっていなくて。自業自得だったんですが・・
ま、仕様がないよネ、東京モンにはずっとずっと京都まで初めての道ですからね。
下調べの際に、東海道というレストラン、いや、食堂かな?があるらしいとの記載を見ておりました。たぶん峠の手前で、時間的にも12時前(ルピナスは12時前には絶対に昼食を取らないので)の通過だろうし、と思っていたところ、失意のうちに国道歩道を歩いていたくろやぎに見えたのは、
(ファミリーマート)
でした。
ちょっと何かを口にして元気出すか?
購入したのは明治ブルガリアヨーグルト(ミニ判)の白桃味。いつもはプレーンの微糖をよく食するのですが、街道歩きにそんなんじゃ効果がない。好物の白桃味を。
このファミリーマート、中でレストラン東海道とつながっているのでした。そして、
(ファミリーマートで購入したものはレストラン内で食べられます)との張り紙。
小規模ながらきちんとした食堂で、「今日のサービス定食は生姜焼きだって」とルピナスが報告してくれたように、力仕事の運転手さんなんかにも対応できる小さなドライブインのような食堂でした。いい場所にあるし。
写真は教則本に記載のある(赤目ヶ谷おはやし歩道橋)の上から撮った名残り松+ファミリーマート+レストラン東海道
道を間違えてしまったが
ルピナスの街道歩き教則本「ちゃんと歩ける東海道五十三次」2014年版にある記載、(江戸方面からは国道一号線沿いに進み、西武建材舟川砕石工場入口看板を過ぎ、山本建設工業採石場看板と長源寺入口看板の間を進み、左の旧道に合流する:p118)を完全に読み間違いして、左側の谷の方に入り込んでしまいました。
同好の方(初老の男性でおひとりでしたが)に声を掛けられて、こちらではないようだとのこと、一応確かめたうえで、私たちも引き返しました。
その方の持っていた、教則本がですね、くろやぎのコピーと明らかに違うんですよ、同じ水色の表紙なのに。(記載事項が多い、一面に文字一杯だった)
一瞬にして悟りました。
改訂版が発行されているんだってね。
こういうことには行動の速いくろやぎ。いつも利用している本屋さんのオンラインショップ(ホンヤクラブ)で調査、購入しました。
新版ですね。若干タイトルが。
ちゃんと歩ける東海道五十三次 東 江戸日本橋から見付宿+姫街道 2019年3月発行
やられたなあって、感じです。当方が始めた2017年9月にはまだなかった。でも去年の春にはこの改訂版が存在した。
さっきくろやぎが間違えた道 赤目ヶ谷のところは、新版p122には信号の記載があり(江戸方面からは左折し即右折し旧道に入る)という簡潔な説明に書き替えられていた
そっかあ。
ブログ上で、これ分かりにくいなあと、二人で書いてあった箇所、結構直しが入っているのかもしれないと、思いました。
そして、現地で声を掛けてくれた初老の男性に大感謝です。
まず静岡駅
丸子宿に行くには、静岡鉄道バス(静鉄ジャストライン)を利用するのですが、このバスは新静岡の駅を出て、JR静岡駅の北口にやって来てそのあと市内をひとつひとつ停留所を挨拶してから安倍川を渡るのです。
静岡駅駅頭には静鉄バスの停留所がロータリーに沿っていくつもあり、迷ってはいけないと事前にHPで何度も何度も見ましたが、東京モンにはどういう構造なんだか最後まで分かりませんでした。
こだま号を下車、ゆっくりと北口に降りてくると、はあって。バス停が岸壁のように四角四面にあるんではなく、くるうってやや楕円状に、あたかも三保の松原を反対向きにしたように出来ていました。
中部国道線というバス、藤枝行に乗りました。
(静岡駅 ロータリーにお茶の木が植えられています)
祖父はいないけれど
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
もう、こちらも還暦に近い年齢で、おじいちゃんの話をしたくても遥か彼方なんですよね。あたしは直接祖父のことは知りません。父方の祖父は家庭の事情で知らないし、母方の祖父は1945年3月9日深夜の戦災で命を落としました。一緒にいた川崎の伯母はしぶとく生き残り疎開先に無事たどり着いたのでした。
伯母が生きていればその話を聞きたかったのですが、彼女の性格からみてその話はしてくれなかっただろうなあって。
そんなわけで、祖父とは縁がありませんでした。
祖母、母方の祖母(川崎の伯母の母親)はちょくちょくウチに来てくれました。ぼくとも性格が似ていて、だいたい10kくらいのお土産をいつも持ってきてくれました。よく駅で売っていた甘栗太郎とか、湯治場で売っていたとうもろこしとか。実母はいいんだよそんなに、といいながら、受取っていました。
祖母も祖母の姉も、生まれた栃木県のイントネーションを少しばかり残して話す標準語で、性格は違いましたが、くろやぎのことを可愛がってくれました。
父方の祖母は一度だけ会いました。会ったのは岩手県盛岡市の父親の実家。
純粋の盛岡弁(父親も話しましたが少し柔らかいはなしかた)で、何しろ花柳界で強い性格の人だったらしく、でも言葉は強いけれど情に厚い人だったように思います。
戦災でなくなった祖父、事情で縁のなかった父方の祖父、よく知っている祖母や一度だけ会った盛岡の祖母、みんな、あの世に行ったら挨拶してじっくり話を聞いてみたい。