遠足で見た富士山
あたしの行ってた小学校の遠足で、河口湖まで行ったんです。
小2の5月、新宿駅集合で(母親に送られて)マウント富士号という電車に乗って。青とアイボリーの横須賀線色70系という電車。
大月から富士急行線に乗入れて、どこでしょうか、富士吉田も真近になったあたり、車窓いっぱいに富士山が全体に。あの、たいして大きくない(特に2等車は)70系の窓から裾がはみ出て入らない、そのくらい富士山はデカかったです。
あまり記憶にないのですが、河口湖~バスで移動して、紅葉台というところに登り、弁当を食べたように思います。紅葉台にのぼる坂道が結構きついのですが、油田先生という女性の先生に励まされて、一生懸命登りました。
紅葉台から見た、西湖?だったかな、湖の青さと5月でも残雪がたくさんあった富士山は本当に立派で、美しかった。
沼津~富士市のウォークでひさしぶりに、裾まで全部見える富士山を堪能し、つい昔のことを思い出しました。
わたしの節分、というほどのこともない、2月3日
節分の主役は子供。あたしは、小1だった昭和43年の成人の日に、練馬区からこの街に引っ越してきたのですが、いやあ、寒いのなんの。びっくりしましたねえ。新築の家なのに、寒くて。耳は一発でしもやけになり、切れたりしましたねえ。
薬屋に勤めていた叔父が、よく効く軟膏を売ってくれましたよ。いい匂いのする、クリーム状のもので、エーザイという製薬会社、初めて知りました。
そんなわけで、節分の思い出、特にないなあ。人並みに豆もまいたが、周囲に、こども、居たのかなあ。みんな、閉め切っていて、豆をまく子供の声?記憶にないなあ。
東京の冬って、11月の下旬、勤労感謝の日あたりから始まって、忙しい12月、正月と成人の日などで晴れがましい1月、ここまでで65日くらい、毎日寒いわけですよ。2月になると、もう早く暖かくならないかなあと、ひたすら切望する時期、寒さに身体が消耗する時期だと思います。でも、少なくと、あと、40日くらいは、このような寒さが続きますねえ。北国だったらもっと寒い時期は長いねえ。
日本って、寒い時期、長いねえって、いつも思います。
このあとは、花粉症が待っているしねえ。
柚木駅(無人駅)から東京まで
さすが、ホスピタリティのレベルが高い静岡県、感心しながら富士市内を歩き、ちょうど15時40分過ぎに、身延線の柚木駅に着きました。時間も、写真撮影上必要な光線加減もこのあたりが限度でしょうか。引き上げることにします。
柚木駅は、高架の立派な駅ですが、残念なことにトイレがなく、人の立っている改札もなく、ただじっとホームで待つことになりました。
昨年伊勢鉄道というほとんど無人駅ばかりの鉄道に乗ったとき、バスみたいに整理券を取っていたことを思い出し、たぶん車両の中に指定されたドアしか開かず、そこに整理券があるンだろうと想定しました。ホームに乗り場所が書いてあるのを発見し、事なきを得ました。
帰り道は毎回、東海道線を各停で時間をかけて帰ってきます。今回は平塚まで頑張って起きていましたので、向かい側のホームに待つ、平塚始発の池袋周りの電車に乗ることが出来ました。
楽ちんだったです。のりかえなしで。
柚木でもらった整理券は二人分、財布のなかに大切にしまって、池袋で清算しました。若いJRの社員さんに、東海道線の富士の隣の駅、って、親切に教えましたが、清算金額はなかなか分からなかったようです。JR東日本でないとわからない??