黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

田尻屋のわさび漬

お店で食べたとき、(結構からいな)と思いましたが、ルピと相談して、かんばって食べようと目と目で頷きあいました。

 

あたしも、中学生の頃から、わさび漬はだいすき。東京だと沢山のメーカーが作っているようなのですが、田丸屋というところのが、一番好きでした。あと、お土産で頂いたみのや吉兵衛という店の吟醸わさび漬というのも、中々おいしかった。

ところが、東京モンが誰も知らない本当の元祖が静岡市にある、と、ルピナスのガイドブックに書いてあったので。

 

冬だから大丈夫だろうと、そのままウォークを続け、帰った晩から夕食のたびに、田尻屋さんに感謝しながら、食べております。

辛いです。

これはね、酒粕自身にも甘さと辛さが混在しているからだと思われます。わさびチップのみではこんなに辛くならないはず。このあたり、独特です。

また静岡まで買いに行きたいなあって思います。行きは東海道線の各駅停車に乗ってヒタヒタと近づき、購入したら新幹線のひかりで超特急で帰るのが正しいように思います

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では写真を一枚だけ

先ほどようやくカメラから画像をパソコンに取り込んで。でも、整理するには至っておりません。毎回、少ない方のくろやぎでも60枚くらい。ルピナスのカメラが故障で、アレ撮って、それこれも、って、撮影代理士の時は軽く250枚くらいは撮っているようです。

最近はくろやぎのカメラも持ち主ににて、すぐに疲れたあといい、画像が縦になったり横になったりして、寿命のような、ふしぎな機器になりましたよ。

とりあえず、無事に撮れた一枚

元祖安倍川もちの、石部屋さんです。

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第27回街道ウォーク 行いました

また、前回から3ヶ月空いてしまいましたネ。12月は、ヒマなあっしでもそこそこ多忙なのでウォークが難しいのですが、1月はちょっと歩きたかったねえと思っていました。でも、今年は暖冬のせいか、本州の南岸に低気圧や前線ができやすくて、好天の日が少ないのですね。いきなり寒波がくるときもあったりして。

ようやく行くことが出来ました。

静岡駅→丸子宿(まりこ と 読みます)

昨日は今年の冬で一番の好天。久々に歩くとぽかぽかと暖かい日でした。

まだ、カメラから写真も取り込んでいないので、とりあえずの報告です。

運転と音楽の両立は・・・

実家10年間、ホンダ車、二台、乗り継いできましたが、音楽を聴いたことはありませんでした。何しろ、ラジオしか付いていないからです。昭和一桁生まれの母親に、若者は運転しながら音楽を聴くことを、いくら説いても、彼女は昔の人過ぎて分からなかったようです。「運転中に余計な音はいらないと」

その結果、ラジオで、音楽ならぬ、音を、ⅭⅯを、人の声を聞くことで満足していました。名古屋に向かう長距離ドライブで、この県は何放送があり、(山梨放送信越放送中部日本放送)どのあたりで入る、というのも覚えました。

ルピナスのくるまになってから、携帯CDプレーヤーにケーブルを付けて、クルマで鳴らせられることがわかり、何回かやりましたが、CD一枚の長さと、次のサービスエリアまでの時間がなかなか合わず、CDの交換のために、名もない?なんて言ったら失礼だが、予期しない場所で、トイレしかないPAに入ることもあり、深夜なんぞわびしいのである。結構両立できないのである。

もう、そうなんかいも、遠出はしないだろうなあ。やっぱり地方のAMラジオを聴きながら走り続けるんだろうなあと思っています。

 

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運転免許

末っ子(19)が、いついつから、教習所に行くことにしたあ、と、報告してくれました。彼は、くろやぎの運転技術を(尊敬してくれる?)家族で唯一のひとで、ウチノくるまはいまどき珍しいマニュアル車なのですが、彼も、ぜひ、マニュアルを運転したいといい、この周辺で評判のよさそうな教習所を見つけたらしいのです。

あたしが運転免許を取得したのは、昭和58年のことで、そのころは、もちろんAT車は存在しましたが、4速あるいは5速MT車の方が幅を利かせていましたし、学校を出て就職するにも、「営業に出たら車の運転は必須だ。それもオートマばっか乗っていて、営業車がマニュアルだったらどうにもならんぞ」といったようなことが、(実際に言われたわけではないが)ある風潮でした。

免許を取得すると、自分の家のクルマは2代目シビックでしたが、5速MT車で、自己練習と称し、日帰りで行けるところまで、(一番遠くて、万座鹿沢口~軽井沢)乗っていました。まだ、関越道が練馬~前橋までしかなかったころです。

社会人になると、3か月間自動車の販売店で研修ってのがあって、どこどこ行ってこい、オレのクルマで行ってこいとか言われて、くろやぎくんは、なに?アコードのエラロデッキ好きか、じゃあこいつで、車庫証明取ってこい、とか言われて、警察署を廻ったり、下取りした中古車を埼玉県の果ての販売店まで運んだり、いろいろな車を運転しました。ホンダの販売店でしたから、さすがに最高級車のレジェンドは触ったことをなかったですが、アコード、日常の脚だった10年落ちくらいのスーパーシビック軽ワゴンのアクティ、中古車で運んだマツダのファミリアターボ、(ターボが効き始めると表示がでる)もったりした日産のスカイライン、若かったから、何でも吸収出来て楽しかったですね。

 

今はとある役所で、一日数時間、車に乗って公共施設を廻る仕事をしていますが、面談でうっかりと、(マニュアル車にも乗れます)と調子よく話したところ、どうもそれが決め手になったらしく(くろやぎの年代でもマニュアル車に乗れる人がなかなか探せなかったらしい)2年前の4月に採用して頂きました。そのマニュアル車が、サンバーという富士重工のクルマなのですが、4ナンバー、商用車で、22年もの、パワステなし走行距離14万キロ、という、なかなかのつわものでした。歴代の職員の皆さんが、バンバン乗ったツケというかクセというか、あちこちに残っていて、軽ワゴンで前輪負担重量が昔のシビックなどよりは軽いにせよ、ノンパワステの重たいハンドルを久しぶりに体験し、(ここで2速、10m行ったら3速、信号の角でまた2速、いや、今日は荷重があるので2速平気かな?)などと、頭と気を遣いながら運転しておりました。幸いにも2ヶ月たのしんだあと、同じサンバーの新車がやって来てくれました。

新車はATで、すぐに慣れましたが、かえって油断がならない感じがします。

 

うちの末っ子もいずれ、自家用車に乗ったり、自分でオーナードライバーになる時代が来るのでしょうね。今の内燃機関を乗せたスタイルの自動車はいずれ消えるでしょうが末っ子の運転免許に間に合ってよかったなって思っています。