黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

運転免許

末っ子(19)が、いついつから、教習所に行くことにしたあ、と、報告してくれました。彼は、くろやぎの運転技術を(尊敬してくれる?)家族で唯一のひとで、ウチノくるまはいまどき珍しいマニュアル車なのですが、彼も、ぜひ、マニュアルを運転したいといい、この周辺で評判のよさそうな教習所を見つけたらしいのです。

あたしが運転免許を取得したのは、昭和58年のことで、そのころは、もちろんAT車は存在しましたが、4速あるいは5速MT車の方が幅を利かせていましたし、学校を出て就職するにも、「営業に出たら車の運転は必須だ。それもオートマばっか乗っていて、営業車がマニュアルだったらどうにもならんぞ」といったようなことが、(実際に言われたわけではないが)ある風潮でした。

免許を取得すると、自分の家のクルマは2代目シビックでしたが、5速MT車で、自己練習と称し、日帰りで行けるところまで、(一番遠くて、万座鹿沢口~軽井沢)乗っていました。まだ、関越道が練馬~前橋までしかなかったころです。

社会人になると、3か月間自動車の販売店で研修ってのがあって、どこどこ行ってこい、オレのクルマで行ってこいとか言われて、くろやぎくんは、なに?アコードのエラロデッキ好きか、じゃあこいつで、車庫証明取ってこい、とか言われて、警察署を廻ったり、下取りした中古車を埼玉県の果ての販売店まで運んだり、いろいろな車を運転しました。ホンダの販売店でしたから、さすがに最高級車のレジェンドは触ったことをなかったですが、アコード、日常の脚だった10年落ちくらいのスーパーシビック軽ワゴンのアクティ、中古車で運んだマツダのファミリアターボ、(ターボが効き始めると表示がでる)もったりした日産のスカイライン、若かったから、何でも吸収出来て楽しかったですね。

 

今はとある役所で、一日数時間、車に乗って公共施設を廻る仕事をしていますが、面談でうっかりと、(マニュアル車にも乗れます)と調子よく話したところ、どうもそれが決め手になったらしく(くろやぎの年代でもマニュアル車に乗れる人がなかなか探せなかったらしい)2年前の4月に採用して頂きました。そのマニュアル車が、サンバーという富士重工のクルマなのですが、4ナンバー、商用車で、22年もの、パワステなし走行距離14万キロ、という、なかなかのつわものでした。歴代の職員の皆さんが、バンバン乗ったツケというかクセというか、あちこちに残っていて、軽ワゴンで前輪負担重量が昔のシビックなどよりは軽いにせよ、ノンパワステの重たいハンドルを久しぶりに体験し、(ここで2速、10m行ったら3速、信号の角でまた2速、いや、今日は荷重があるので2速平気かな?)などと、頭と気を遣いながら運転しておりました。幸いにも2ヶ月たのしんだあと、同じサンバーの新車がやって来てくれました。

新車はATで、すぐに慣れましたが、かえって油断がならない感じがします。

 

うちの末っ子もいずれ、自家用車に乗ったり、自分でオーナードライバーになる時代が来るのでしょうね。今の内燃機関を乗せたスタイルの自動車はいずれ消えるでしょうが末っ子の運転免許に間に合ってよかったなって思っています。