黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

もうひとつ前の夏合宿

私立Ⅹ学園の合宿の前、6歳の時に行った、幼稚園の中軽井沢合宿のことも書きますね

わたしは、早生まれだったから5歳ウンか月なんですが、上野駅の地平ホーム??だったかなあ?集合して、母親と別れて、信越線の、準急なんとか、乗って行きました。電車で169系だったと思います。

6歳ですから、動揺する園児が周囲には多く、行きの電車の中でああこう言ったり泣いたりするやつもいました。まあ、しょうがないなあ、どうも3日間くらい親には会えないらしいな、腹くくるしかない、ってくろやぎは思っていました。宿舎はひろく、幼児向けのご飯はおいしく、苦手のスイカも何とか食べて、書けと言われて家にはがきを書いて、くろやぎが書いているところをのぞき込む子がいる写真が、実家に残っています

軽井沢は涼しくて、とてもよいところでした。

行きも帰りも電気機関車(数台?)にひいて、あるいは押されて。

横川なんて地名は知りませんでしたが、機関車が離れて、普通に電車が走り出すと、群馬の田舎はちょっと暑くて、でも窓開けっぱなしでも昭和40年ごろの夏は今ほど暑くなくて、快適でした。夕食の弁当を早く食べなさいと言われいわれして、ようやく赤羽で食べ終わると、すぐに上野。集合場所と同じところに母親が待っていて、うれしかったなあ。

上野駅の地平ホームから、上野公園側の山手線のホームに上がる構造をこの時覚え、デカい駅でも物怖じしなくなりました。いつかは着くと。小学校2年のときの遠足で新宿駅の団体集合解散場所から正反対西口側の山手線ホームまで、同級生10名を連れて、こっちだろうと誘導できたのは、ささやかながらくろやぎの誇りであります。

帰宅した翌日の朝、アパートの大家さんのポストに、軽井沢で自分が投かんしたはがきが着いていて、おおやさんのおばさんに、立派な字を書くねえとほめられました。