黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

むかしの第九

最近はNHKでも東京五輪中継が幅を利かせていて、夕方ゴロゴロ横になって一日のニュースを聴くのも容易ではありません。R1NHK第一では無理で、ラジオのアンテナを伸ばしてFMにしないといけません。そのためには二階に上がって・・と。

そんなふうにして聞くはずだったニュースは寝入ってしまいいつの間にか終わっていて次の番組が始まりました。N響アーカイブというNHK交響楽団の過去の演奏を振り返る番組だったようです。昨日の晩にかかったのは、

第九

ベートーベンの交響曲第九番なんですが、たぶん最古の録音といい、年代は太平洋戦争中の1943年1月の演奏というものでした。

かつてあった秋葉原石丸電気レコードセンターが大好きだったくろやぎ、いつもジャズフロアとクラシックフロアを往復してはLPを、そしてCDを購入してはにんまりしていたのですが、クラシックフロアに行くと、必ず今の私くらいの年代の、演奏にうるさそうなご老人が難しい顔をして、過去の名演といったレコードを買おうか買うまいか矯めつ眇めつって見てましたネ。

わたしは、クラシックに関しては、55歳くらいまでは音質主義、どんなによくても過去の演奏は購入しないのを旨としていましたが、好きな演奏家の年代がすこしづつ昔の人にシフトしていて、だんだん気にならなくなりました。ジョージ・セル(1897-1970)あたりから50年代の古い演奏でも大丈夫。モノラルでも平気になりました。

年ですよトシ。

でもさ、戦時中ですよ、映画音声でいったら、日本ニュース(映画館でかかっていたニュース映画のこと)東条英機、平出英夫の世界です。大丈夫かなあと思いながら、同じ日本人としてね、先人へのリスペクトということで聴き始めました。

それがね、上手いんですよ。指導者だったローゼンストックさん(ドイツ人)が事情があっていなくなっていて、山田一雄という僕も名前だけは知っている指揮者で、新交響楽団が日本交響楽団になって(戦後N響になるそうです)そうそうたる方々なのでしょう、演奏も合唱も独唱もとてもうまかったですね。みんな第4楽章のことだけ考えている節があるけれど、大河のように迫ってくる第一楽章、早いテンポで冷静さが要求される第二楽章、スローバラードで本当の技巧が浮き出る第三楽章、すべての要素がさらけ出されたあげく合唱まで来るのが、結構怖いですよね。あ、ここ合わない、う、ここテンポ速くなる人いる、などと、急所がいくつもあるのに、昨日聞いた昭和18年版はそんなこと全くなく、録音原版のスクラッチノイズ以外、気になるところは全くなかったですね。みなさんのレベルの高さ、山田一雄さんの取りまとめの上手さなんでしょう。

 この戦争は、枢軸国側は世界から孤立するわけで、日本で言ったらローゼンおじさんがいなければ自分たちでやるしかないわけです。ワルタートスカニーニ、そして今でもファンの多いフルトヴェングラーは居ないのですから。ドイツ人が戦争でアメリカからの輸入が止まったコカ・コーラ製品の代わりに自力でファンタを作ったように、我が国もやるしかなかったんですよね。その中で、よくやった演奏だと思います。

番組はそのあと、戦後1949年の録音、ピーターとおおかみの演奏も聞かしてくれました。とても声の若い小沢栄太郎さんのナレーションも付いて。

夕食の食卓まで第九の第二楽章からラジオに付き合ってくれたルピナスがピーターとおおかみになると、あ、戦争が終わったからなのか、演奏にゆとりがある、と言っていました。いいこと感じているなあウチの奥さんって思いました。