黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

子供の頃なりたかった職業

こどもと言っても中学生の頃ですが、毎日新聞のもう亡くなった内藤国夫さん(将棋指しの内藤さんとは別の人ね)が書いた「新聞記者として」という本を読んで結構感動し将来は新聞記者になってみたい、と、思ったことがありました。新聞記者の人の書く本って話はうんとこさ長いンですけれど、読ませる本が多くて、しょっちゅう読みたいとまでは思いませんが、割合に好きな方でした。この人は昭和30年代から40年代にかけて結構有名な記者の方だったらしい。

その話を、ウチののんびりした性格の父親にしてみたら、

「大変だぞ、新聞記者は」と言います。

第一に、転勤がある

第二に、夜中(12時過ぎ)まで仕事がある

第三に、酒が強くないと務まらない。

 

う~ん。

1父親はメーカー勤めでしたが、

(世界中に支店のある大企業でしたが)ずっと自宅通いでしたし

2接待とか何とか言って、帰宅は確かに遅かったです。

3しかし、酒はごく弱い方で、

たとえば土曜の夕方、晩御飯を食べながら麦酒を一・二杯飲むと眠くてしょうがない。当時20時から21時10分に放映していた「刑事コロンボ」を見続けることが出来ず、20時07分ごろから横になりいびき、それが40分後むっくり起き上がると

(この話は)「どうなった?」と家族に聞くのは常でした。

あの濃厚複雑で1・2分ではとても説明できないドラマを、どうなったの一言ですまそうってところが、よく理解できない父親でしたが・・・

 

というわけで、3を考えると、(自分ではお酒を飲んだことはありませんでしたが)アルコールの強さは遺伝するとも思われ、新聞記者はあきらめることにしました。

成人してからは、ほぼ定時で帰れて、転勤のない仕事を選び、妻のルピナスが結婚当初驚くほど早寝の生活をし、その後少しは人並みになって今日に至っています。1974年頃の父親の判断は大筋で間違っていなかったと今では感謝しています。