黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

最下位候補のオリックスを応援しています

お題「#応援しているチーム

中学一年からプロ野球近鉄」という弱いチームを応援していました。朝日新聞の運動欄(パ・リーグ成績)でいつも一番下。ビリ。一番はその頃阪急ブレーブスで、成績もダントツでした。

育った家はプロ野球を全く、ぜんぜん、長嶋も王もなにもない家で、誰もナイターなんか掛けないし、見もしない。その中、全く独力でプロ野球とは何か、近鉄の弱さの根源は?と杉田玄白の解体新書にように手探りで研究していました。

翌昭和49年に(若手教育で有名な?)西本幸雄さんが近鉄の監督になりました。それまでぬるま湯、同好会気質の近鉄が少しづつ、投手陣も野手も整備され、王者阪急にちょっとですが勝てるようになって。当時はパリーグのテレビ中継はほとんどなく(年に数回のNHK総合テレビくらい)ラジオはNHKが週1回から2回くらいありましたが、近鉄をはじめとするパリーグの中継は勉強を置いてでも聴くようにしました。

よく覚えているのは昭和53年ごろの(クラウン対近鉄)戦で、近鉄がリードしていたのですが最終回のクラウンに猛攻を食らい、最後は大田卓司選手のサヨナラ安打であっさり負けたことでした。クラウンは決して強いチームではないのですが、観客の声援がものすごく、最後は大騒ぎになるほどでした。なるほど西鉄を盛り上げた平和台のお客さんのパワーを感じました。

近鉄はその後も苦労するのですが、前後期制や上田利治監督が勇退された時期に阪急がちょっと弱くなったこともあり、昭和54年に初優勝、55年にも連覇をしました。江夏さんやライトルさんなど広島カープに比べればまだまだでしたが。

西本幸雄さんがいなくなった後、がくんとチーム力が落ちるのですが、長年コーチだった仰木さんが監督になって、若返って、川崎で10・19で涙をのみますが翌年にはにっくき西武ライオンズを破って優勝します。

そんなこんなで、近鉄がなくなった後、オリックスを応援しています。

オリックスも選手の多くは不器用で、数人のエース格の投手、吉田正尚を中心とするやや長打を打てる者以外は、まだまだ力不足で、首脳陣もまた素人から見るとなぞの采配が多く、白星を取りこぼしやすい体質なのですが、いつもいつも週刊誌で評論家たちに軽く見られているのを、今年こそ何とか払拭してほしいと思います。4位でいいから。