黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

シビックで走った頃

旧東海道 街道ウォークを初めて2年半もたつのに、クルマで東海道を一日で東上しようと企てたことは、すっかり忘れていた。

1989年の4月28日~30日は、確か三連休だった。

28日の土曜日、実家のシビックで東京を出発。調布から中央道でぐるっと回って豊橋で降りたのかなあ??大学生の時、初めて一人でとまったことのある豊橋市の安いビジネスホテルに泊まった。

翌日は天皇誕生日、だったはずの祝日。9時にホテルを出て、国道1号線を車で東に走るのである。くろやぎ28歳、まだ、こわいものしらず。9時に出発しても21時には日本橋に着くと思い込んでいた。

静岡県内は順調だった。浜名湖の南側を大きな橋で超え、日本坂トンネルも抜けたような気がする、静岡市内も車で抜けた記憶がある。左手に富士山はよく見えなかったが。沼津市までは順調だった。

箱根越え、クルマで走る分には沼津→箱根峠はカーブが多いものの道幅も広く、気持ちよく登ることが出来た。ただ、6時間も走るとやんわりと疲労を感じた。山の上の広い駐車場で休憩し、カーラジオで競馬中継を聴いた。山の上でロケーションが良いのか、ラジオ日本の競馬中継が驚くほどよく受信出来て、東京の(サンスポ杯4歳牝馬特別)そして京都の(天皇賞春)(イナリワンの勝った天皇賞)を聴いた。

箱根神社をすぎ車が多くなったなあと思った瞬間、小涌園のあたりから大渋滞にハマった。5MT車で下りの道を何回クラッチを切り、ブレーキを踏んだか。小田原の町まで1時間半ほどかかり、とっぷり日が暮れた。

その時点で東海道制覇はあきらめた。

東京に急いで帰るなら小田原厚木道路~東名が鉄板だが、物凄く疲れて、あたらしい知らない道路は通りたくない。そこで以前走ったことのある西湘バイパスに出た。

幸運なことにほとんど渋滞がなく、海沿いの道は気持ちよく、そのまま走り、左に折れて藤沢の街を突破した。

そのあと、急坂が一つあったから、遊行寺の勾配だったかもしれない。オレンジ色の街灯を覚えている。

原宿の交差点で合流がむづかしかったほかは、横浜新道、第三京浜と乗り、いずれも何とかなり、夜中に自宅にたどり着いた。12時を回っていただろう。

いかにロングドライブが疲れるものか、よく分かった。

しかし1ヶ月後にまさか山梨県への転勤が出るとは全く思わなかった。