黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

きょうは2月7日

昔からなんでもない平日の2月7日ですが、くろやぎの母校、武蔵野台地にある私立X学園は、2月7日と8日の二日間が、入学考査でした。入試だから学校は休み、生徒諸君は休日、とはいかないところが、昭和の学校です。

最近の言い方では中高一貫、である✕学園。2月7日は小遠足と称し、中一から高三までの各学年一名ずつで班を作り、班長国土地理院作成、2万五千分の一の地形図をわたされて、出発点から数か所のチエックポイントを通って目的地まで行く、という遠足をやっていました。

難易度と疲労は比例します。くろやぎの場合、中一の小遠足はいちばんひどいものでして、昭和49年2月7日、底冷えのするくもり時々小雨の中を、西武線武蔵横手という小駅に集合、北上して鎌北湖、南東に下って宮沢湖小手指ヶ原古戦場を通って、狭山湖駅(現西武球場前駅)がゴール、解散、というものでした。とりわけ、鎌北湖から宮沢湖にすすむ道が難解で、別にコース設定時間はないゆるい遠足でしたが、班は大きく後れをとり、小手指ヶ原ではもう疲労困憊、最後は遠くに水銀灯が一つしか見えない、暗闇の狭山湖堤防を、足を引きずりながら前に進み、18時30分ごろ、9時間近くかけて、狭山湖駅に着きました。25班くらいあったはずですが、私たちの班は

「ケツから三番目」

と、リーダーに言われて、ぐったりした身体を、古くて木の床だった二両編成の電車のローズ色のシートに座って帰りました。

あの時の疲労にくらべれば、街道ウォークは苦になりません???

その後、だんだん、小遠足に耐えられる脚力が付き、よく翌年、実に軽い企画で、

拝島~学校まで。13kというのがありました。(昭和48年度は30k弱)

好天に恵まれ、道中は五日市街道+玉川上水沿いという、超らく~なルート。一年生も居たのに我々の班は絶好調で、同じ9時スタートなのに、13時にはゴールの学校(寮の食堂)に着いてしまい、順位は、

「3位だよ、よかったねえ」とリーダーが笑顔。

大して疲れもせず、そのまま帰宅して、母親が驚いておりました。

 

15年くらい前まで、✕学園の近くに住んでおりましたので、2月7日になると、おお、後輩たちよ、小遠足の日だな、まあがんばるように、などと偉そうに心中で思って駅に向かって出勤徒歩しておりますと、まあ、今の学校は甘いな、館外学習なんでしょうが、きれいな観光バスが何台も準備されて、続々と出発していきます。時代なのでしょうが、若いやつはこれだからダメなんだよな、って思っていました。

おかげさまで、ルピナスと街道を歩いていても、それほど?音を上げないのも??いにしえに、✕学園で鍛えられたおかげと、感謝しております。