黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

川崎です。

以前も書きましたが、あたしの生まれたのは、川崎です。いま、高層住宅や音楽ホールのある川崎駅の西口。昭和の終わりまでは、国鉄の線路のそばに、変電所、川崎市営住宅、それに住宅公団の大宮団地がありました。町名も大宮町というところ。

あたしの両親が、全人生のほとんどの運を使って、抽選倍率ウン百倍の、この公団住宅を当てて、昭和33年に移り住み、そのあと、あたくしが生まれました。

生まれてすぐに、父親の転勤で引っ越しましたので、川崎は単なる出生地です。

せっかく当てた公団住宅は、母の兄弟や祖母が住んで、建て替わった今も権利を持っているそうです。母の6歳年上の伯母が優しかったので、よく泊まりに行きました。

昭和40~50年代、団地3階の窓からは、夏の大空が見えました。線路の向こうは改装前の、いまはなき、(さいか屋)そして、縦形の看板が小さく見える(ミスタウン)前の棟、二棟の間からは、東海道線の線路が見え、一番早い南武線の始発電車が、矢向から川崎にやってきます。たしか、4時30分頃。子供の頃の電車は吊り掛けモーターですから、音が大きいのね。優美な20系の寝台特急、働き者の貨車入換用機関車DD13、チョコレート色の南武線72系、子供の頃に帰りたいって、川崎を通るたびに思います。