黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

古いものが好き

読者の皆さんはとっくにお気づきかもしれませんが、結構自分の見聞きした昔話が好きです。川崎の電車の話、京浜急行の話、大磯ロングビーチの話、みんなそうですね。

街道ウォークをしていて旧家を見つけると、玄関に貼ってある印を写真に収めるのも結構好きです。

この間は、NHKの昔のテレビ契約のしるし、見ましたのでパチリしました。

いま、NHKの受信契約の話をネットで検索すると、いかにして受信料を払わずに集金人を撃退するかみたいな方向に、話がそれてしまうのですが、それは置いといて、以前は衛星放送がなかったから、自分の家のテレビが白黒テレビ(ウチがそうでした)だったら普通契約、カラーテレビだったらカラー契約、でした、確か。普通契約は空色のバックにNHKの硬い文字、カラー契約だったら、今の地上波のみ契約と同じ、銀色に濃い青、緑、赤の楕円の和の中にNHKの三文字が入っています。この三色は光の三原色ですね。

テレビ放送は昭和二十八年に始まり、ほぼ十年後の昭和三十九年ごろまでに各家庭に入ったと言われています。皇太子ご成婚(昭和三十四年)や東京オリンピックなど、テレビに好都合な放送があって受像機が売れて普及したとのこと。当時は高度成長前でテレビをはじめとする電気製品はどれも高価で、勤め人の給料の何か月分かするものだったそうです。

私の家は真空管の白黒テレビでした。スイッチをぽこって押すと、中で通電するようなほのかな音がし、取っ手の隙間から、中を覗くと内部で真空管がオレンジ色に鈍く光り1分ほどで、ぼわん、っと画面に光が入ったのでした。

カラーになったのは、大阪万博の頃でしょうか。日立製作所の(キドカラー、ポンパ)という18インチのテレビ。今度のはトランジスタテレビで、コンセントを入れておくと保温作用があり??この説明は正しいのかな?真空管と違って瞬時に画面が点く優れものでした。25年以上使い、色褪せず、平成の初めまで故障知らずのよいテレビでした。

受信料の話で言うと、普通契約、カラー契約制度になったのは昭和43年頃だそうで、それまではテレビのある家が普通契約、ラジオしかない家がラジオ契約?あずき色のステッカーでラジオという文字の入ったものがあったそうです。川崎に住んでいた伯母がくれたNHKの下敷きにそういう風に書いてありました。取っておけばよかったなあ。子供の頃のモノってもう手元にありませんね、有れば皆さんに見て頂けたのに。

このお屋敷のマークは、NHKのマークにTVの二文字が縦に入っていますね。いつ頃のモノかネットで調べようとしましたが、結局分かりませんでした。放送博物館みたいなところで専門員の方に伺えば調べてくださるのでしょうか?

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