黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

行動範囲

前回は台風、そして今週末もミニ台風、どうもルピナスと黒やぎは今回も神奈川宿

(川止め)

のようです。毎日見ているウェザーニュースのやつが、でっかい傘マークを付けて予報していますからね、降水確率80%ですから、話になりません。

 

川崎の大宮団地、伯母の家に滞在するときは、時刻表持参、最後の二年間はカメラ持参でしたが、二泊三日と時間が限られ、中日は、伯母が、ひさしぶりに可愛い甥っ子と遊びに行きたいらしく、けっこう連れ出されて、あちこち参りました。当方は練馬、そのあと多摩地域のひとでしたから、横浜周辺は不案内。

最初に連れて行ってもらったのが、横浜山下町のマリンタワー氷川丸。いま、黒やぎは高所恐怖症で、ああいう高いところには参りませんが、あのころは平気だったので。桜木町からバス乗っていったのかなあ。明るくてよく晴れた日でした。

一番遠くまで行ったのは油壷のマリンパーク。いこう、ぜひ見せたい、と、伯母は数年間あたしを説得して、ようやっと実現しました。でも京浜川崎から三崎口まで、ものすごく遠かった。帰りは蒲田まで来て夕食でしたから余計でした。

蒲田といえば、台湾人のやっているラーメンを食べに行ったこともあります。昭和45年の春で、「大盛り?」「ううん普通でいい」いまでいうワンタンスープみたいな中にちじれた麺の入っている、そのころまだもの珍しいラーメンでした。スープのうまさが半端なく良くて、感動しましたね。川崎はまだ、アゼリアもない頃で、蒲田はもう東急プラザもあったし、子供を連れて食事するところにはことかかない感じでありました。