感激・多摩川を歩いて渡っている
あたしの生まれた川崎市。もっとも両親と三人で暮らしていたのは生まれてから一年間だけで、そのあと、名古屋に転勤になり、そして練馬区と引っ越し、いまは多摩地区のある町にいます。
川崎市を故郷として認識できるのは、あの品川駅で常盤軒のかけそばを食べさせてくれた伯母の存在です。あたしたち一家が引っ越した後を祖母と一緒に住んでいて、昭和40年ごろ~53年まで、黒やぎは夏だ冬だと休みのたびに、伯母の家に二泊三日で泊まりに行きました。
川崎には小学校低学年より、一人で電車に乗ってまいりました。自由にコースが選べてひとりは最高なんですよ。品川まで山手線で行きなさい、その方か近いから、なんて(無粋なこという?)親となんか一緒には参りません。
絶対にテンションが高まるコースは、山手線~田端(外回り)~東京駅から東海道線で川崎に向かうというものでした。
まず、田端で山手線の視界が急に開き、機関区の沢山の線路を見ただけで感激。
上野発の東北線などの特急急行列車とのすれ違いで感激
隣の線路をほぼ同じ速度で走る京浜東北線の水色の電車を見て感激。
そして東京駅に参りますと、地下道を通って東海道線の普通列車ホームへと移動します。小田原行、平塚行などさほど込まない普通列車に乗り込みます。
発車すると右手に有楽町駅を見て、え、へ、へと優越感。
新橋を出ると、車内放送、そのころは女子音声ガイダンスはないので、国鉄のぼそぼそした声の車掌さんのいう「主な停車駅の到着時間と乗換案内」に感激。「平塚でうしろ4両を切り離し」「平塚までは車内禁煙区間」とのアナウンスもありましたね。
田町を過ぎると列車は減速し、先日の書込みで申し上げた(東京運転所)の東側を下り列車だけが特に通ることが許され、電気機関車、長距離寝台特急、急行列車、東海などの急行電車のねぐらをすぐそばで見ることができ、もう、感激ですよ。
品川を出ると普通列車は速度を増し、大井町、大森、蒲田と京浜東北線の水色電車を軽く追い抜いて、いよいよ、いよいよ多摩川が近づいて、鉄橋を超えれば伯母が駅で待っている川崎ですよ、かわさき。
あああこの感激はなかなか言葉では表せません。少年時代の黒やぎはもーうれしくてたまらないのです。
その、多摩川に、ですよ。付き人として、日本橋から、てくてく18k?いや20kは歩いたでしょう。このビルが見えたら多摩川だって、上記の時代から知っているビル看板を過ぎて、多摩川を自分の脚で歩いて渡る。東海道線の普通列車だったら東京駅から軽く20分でやってくる川崎に二日かけて、歩いてきたああああ。
この感激は、一生ものでありました、黒やぎ、忘れません。
という気持ちをお伝え致したく、今日のお写真は、これ、ここから神奈川県です。