黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

以前は山口瞳の本ばかりで

今週のお題「本棚の中身」

小6か中一の頃から、山口瞳さんの本を読んでいましたね。

酒飲みの自己弁護 とかね。

飲酒を許される年齢まではだいぶあったから、酒も開けたての一杯が旨いとか、樽酒の最後の一杯が旨いとか、文章は読んでも、実感を伴うまで時間を要しました。読んでいましたが、共感するには子供過ぎました。

酒飲みの自己弁護 は、亡き父親の持ち物で単行本でした。私のほうがとっても愛読して、今でも手元にあります。昭和48年発行の、山藤章二さんの絵が付いているやつ。

28の時に小さな会社に就職して、近所にほとんど文庫本しか扱わない小さな書店があったのですが、その本屋さんの書棚で山口瞳さんに再会。買ったのは新潮文庫

草競馬流浪記 でした。

全国にある、地方競馬の紀行文で、もちろん現地に行って、勝馬投票券をすこし、いや山口瞳は結構な勘の良い持ち主だったらしくて、思いっきり勝負しては負けて、時々勝ってという、そんな内容の紀行文でありました。いまでも、文庫本で3冊くらい持っています。

その頃、くろやぎは中央競馬の方を始めたものですから、山口瞳さんの指南は大いに役立ちました。いまでも、(ってもうやらなくなって15年くらいたちますが)競馬は単勝複勝の世界だと思っていますから。

山口さんが、週刊新潮にずっとエッセイを書いているのを、それまで知らなくて、昭和63年ごろから、週刊新潮週刊文春は毎週、購入するようになりました。それは、ご本人が亡くなった平成7年以降もずっと続いて今に至っています。

 

本を買うのは好きですね。いまでも、自分の本だけで100冊以上、ルピのそろえた子供向けの本などを加えると相当数あります。

月並みですが、この家、でしょうか

今週のお題「人生で一番高い買い物」

学生時代なら、ビル・エヴァンスLP12枚組全集、でした。今価格を思い出せないのですが、新宿まで車で行き、秋葉原石丸電気で予約を受け取り、えっちらおっちら手に持って帰り、新宿からシビックに乗せて帰りました。付き合い始めたルピナスも同乗して。昭和60年のことでした。何年前だろう。いまの南口サザンテラス口が小さな有料駐車場で、空いていたので時々利用してました。

大人になってから一番高い買い物は、この自宅。ローンを頑張って払い、つい数年前に自分の名義になりました。うれしかったか?と聞かれると、うれしいというよりも、ほっとした、安心した。これで老後に住むところには困らないという安堵感でいっぱいになったと答えています。賃貸も気楽だし、老後は駅前集合住宅(マンション)も便利かもしれませんが、くろやぎは、朝、小鳥の声しか聞こえないくらいの、静かな環境でないと安心できないので、この自宅にはとても満足しています。

 

年初から寒気が入りやすい

昨日の夜、せめて一日の流れを抑えておこうと、末っ子が言うので、付けっぱなしだった野球中継から、ニュースチャンネルに切り替えました。

30分一回りのニュースタイムの最後は天気予報。キャスターさんがあした関東はあさ(午前中)雨という。

えっつ?

ホントかよ?

家族三人で言ってました。

 

そして今朝五時。本当にしっかりと降る雨の音でくろやぎだけ起きてしまいました。

いまは、薄日。

大丈夫、次女が出勤ですが自転車で行けそうです。

 

今日の雨はどうか分からないけど、外気温は昨日の暖かさはないみたい。なにしろ、お正月前から常にシベリア寒気がいつも入り込んで。春になっても、移動性高気圧の東への移動、テンポが速くて、すぐに次の気圧の谷がやってくる。

四月もそうだよね、午後や夕方にぴやぴやした空気が忍び寄ってきて、大気不安定ですぐに小さな雨雲が出来て、東京や神奈川などでわるさをして人々を困らす、そんな天気が多かったですね。小春日和が一日中続かないのです。

シベリアのせい、やっぱりロシアのせいか?

天気のことはロシアと関係ないのに、ついわるくとってしまいます。

いけない、いけない。

 

みなさん、連休楽しんでいますか??

もう連休じゃないけれど、おまけの土曜日と日曜日がとってもうれしいです。

 

大渋滞にはまってしまい・・・・・・

28歳のとき、黄金週間のとある日に、箱根で渋滞にはまりました。

当時まだ独身で、自分の車もなく、親の2代目シビック(スーパーシビック)の最終年型に乗っていました。白のマニュアル車。今乗っているヤリスとほぼ同じ大きさで、昔の車ですから角ばっていて、でも取り回しの楽な車でした。

当時愛読していた二玄社発行のCGではなく、NAVIの方を愛読していました。一時も離さず。単身赴任していた中部地方から、ルピナスに会いに土曜日の新幹線に乗る時もずっと読んでいました。

その頃、NAVIには(人生グランドツーリング)というテーマで記事が載っていて、いってみれば、長距離ドライブをしなければ、クルマのことも、クルマを運転しているお前さん(読者)の本当の姿もわからないもんだよ、という内容でした。編集長の大川悠さんの影響が色濃く出ていた記事で、その後も雑誌にはたびたび出ていました。

単純で乗りやすいB型の私も、ちょっとそれに近いことをやってみたくて・・

初めて一人で泊まった町、愛知県豊橋市から東京まで、国道一号線を走ってみよう、

そういう企画を勝手に一人で立てて実行したのが、たしか平成元年の4月29日でした

豊橋をまあ普通の時間に出て、浜名湖の南を通り、浜松バイパスを通り、日本坂トンネルを超えて、静岡、富士、沼津、超の突く順調さで東上、箱根峠のあの広い駐車場で、RFラジオ日本の競馬中継(イナリワンの勝った京都の天皇賞と府中競馬場のサンスポ杯4歳牝馬特別)を余裕で聞いていたのですから。

まあ、軽く出来そうだな。日本橋着いたら何食べよう?

このあたりの浅はかな頭の中が、28歳なんですね。

箱根の最高地点を過ぎて、小涌園の少し手前で・・・・・・・渋滞になりました。

 

箱根を降りるのに・湯本を過ぎても一向に車は減らず・・・小田原まで2時間半かかりました。

 

その後、どうやってそこに着いたか不明なのですが、平塚駅の南口に着いたのが21時

公衆電話で自宅に電話し、1号線走行を断念し、知っている道で帰るから、あと3時間くらいで・・と話した記憶があります。

そのころ知っている道と言ったら、ルピナスと車で走ったことのある134号~原宿合流~横浜新道~第三京浜国道~都内。この道なら、地図を見なくても走れるのでした。今考えると1号線そのまま走った方が近いのに、何を考えてんだかって・やっぱり12時間近い走行で頭が疲労しているのね。おバカな判断力。

でも無事に、3時間で帰宅することが出来ました。

藤沢の遊行寺の勾配とか、箱根峠のだだっ広いパーキングとか、なあんか既視感があったのですが、多分この馬鹿ツーリングドライブのせいですね。今は亡きシビックとともに良い思い出です。

たまには本でも買わないと

週刊新潮の5月5日・12日合併号に私が選んだ5冊の本(黄金週間向けなんでしょうね)に、評論家の川本三郎さんが

東海道五十三次いまむかし歩き旅」

という本を紹介しています。著者は高橋真名子さんという女性の方。実際に旧東海道を自分で一往復歩いた、と、書いてあります。

 

興味があるので、もしかしてあたしらと志は一緒かなとも思い、いま、アマゾンで注文しました。読んでみて、このブログにふさわしかったら紹介します。

河出書房新社の発行で、定価:2475円(単行本だから、ちょっと高いね)