面接試験で幸運にも
今週のお題「試験の思い出」
3回の転職、現在は4つ目の職場に居ます。官公庁の、もういい年ですから、嘱託。
この嘱託、あまり本気では望んでいなかったのですが、ハローワークの求職活動って結構条件があってね、以前職安に通ったのは、1987年頃、登録して、待期期間があって、それでも3ヶ月間(かすみをたべるようにして)なんとか暮らすと、口頭で
「求職活動してますか?」
「はい、しています」と言って
にっこりしていれば、お給金(失業保険)無条件で頂けたのに・・・
2017年に求職活動した時は、
二軒以上求職し、面談にこぎつけないと駄目だと言われました。
最初、ルピが勧めてくれたところは、微妙なところで条件が合わず、せっかく簡易書留で送った履歴書が返送されてきて、とっても悲しかった。
次の行政庁は、何故か大々的に嘱託募集をしていて、
あ、これでいいや、何になるか分からないけど。
応募しました。そして、保険課で「はい、二件応募しました」と言って
失業保険をゲット出来ました。
試験は、マークシートによる学科と、通過後の面接でした。
高校一年程度の学力試験、試験問題も結構むずかしくて、自信をなくしましたネ。
ところが、不思議と面接までたどり着きました。
こんどはクロスバイクで行き、駐輪場で缶コーヒーを飲んで待っていました。
50代の司会の人と、部長さんと主任さんみたいな人と、おはなし。
その町には一度だけ小さな会社に働いていたことがあり、その話をすると、主任さんはとても喜び、そりゃあ、縁があるねえ、他に応募しているところはあるかな?などと言われ、その時は何処もなくて、じゃあ、ウチへ来てくれるかな?なんて和やかに話してもらいました。そして、司会役だった管理職の人の部署で今働いています。
いま、末っ子が就活とやらをやっていますが、コロナの影響で
オンライン面接、だそうで、あたしなんかそういうのでは、自分の長所、発揮できないなあなんて、昔の人間なんで思ってしまいます。
そして、面接をしてくれた上に、自分を押してくれた今の上司にもとっても感謝しています。
もう考えてもしょうがない 「無」で行きます
ね、すっごいですよね。東京でコロナ 一万四千人 びっくりですわ。
風邪?インフルエンザ?いやいや、油断はならぬ、って言っても、コロナで病院が一杯とか、骨折患者が受入れ先がない、とか、良くない話が伝わって来ています。
学校なんか早く閉めればいいのに、ムリして、(学びの機会を失っては・・)なんて言い始めたりして。
日本って非常時になると意味もなく妙に張り切る癖があって、
本当は出来もしないのにあれもこれも一辺にやろうとし過ぎる。それも(すぐにやれ)ってくる。
コロナが流行ったら、一定期間は活動停止ですよ。みんなとりあえず病気なんだからさ
だから、今は何も考えない、「無」の境地です。
今年はむらさき色になって
今週のお題「手帳」
一昨年の変なとき、(3月だったかなあ)ルピナスから譲り受けました。
くろやぎは手帖持っているの?
わたしは、大きなノートにその日あったことを書く業務記録、みたいなことは30代からやっていましたが、予定を書き込む手帖は持ち合わせていませんでした。
そのままもう還暦近くになって。
特に予定を書き込むほど多忙な職務でもなくて。
でも、ルピナスの(年度初め:4月スタート3月終わりの手帖)を買うつもりで通年のを間違って買ってしまった、という、使う予定のない手帳、行先のない手帳ががかわいそうでしたので、まあいいか、引き取ってあげようってんで、受取りました。
表紙はピンクで。
会社の引き出しに入れて。
仕事をした日はハンコを押したりして。
不思議と習慣になり、去年はミント色、ことしはパープル色の表紙になって同じメーカーの手帳を使っています。
皆さんほど予定を書く項目はないのですけれど、精一杯使って行きます。
今度は島田の写真から
学生服をおもに販売している洋服やさんのようです。建物外壁の色となかの赤がとてもよく合っていてついカメラに収めてしまいました。
反対側にたばこ店があるのかな?あっつ自分も・・