黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

確かに杉は許せないけれど

今週のお題「花粉」

戦争に負けた後、先人たちが新日本復興のために、血のにじむような努力をして、例えば松根油を採るために松の木伐採した山なんかに、小さな杉の苗木を大量の植えて、それがまさか、25年ほどたって、大気汚染と相まって、、スギ花粉症になるなんて、植えた先人たちは全く想像もつかなかったでしょうね。だから悪気はないのですよね。

ぼくは平成に入った頃になりましたが、昭和40年代の中頃に、もう花粉症はあったようです。小学校の同級生のお母さんでそういう人がいたって母親が言ってましたからね。

でもさ、日本人がそれって大号令でやることに、ろくなことないので、アスベスト、ラワン材、救世主のように言われている裏には、必ず弊害があって、誰か裏では本質・たいてい問題点なんだけど、知っている人がいるんだけど、表に出なくて。何十年も経ってからわかるってあるよねえ。

日本に限定して言えば、花粉症は敗戦の後遺症であり、すこしでも一等国になろうと努力した結果、行き過ぎちゃった日本人の特性とも言えますよね。戦争中あれだけ大騒ぎした風船爆弾アメリカの山野を大火災にするには季節が悪く、松根油をいくらとっても飛行機のエンジンは回らなかった。いまワクチンワクチンと上へ下への大騒ぎですがみなさんに副作用が出ないことをお祈りするばかりです。

変化はあったのでしょうか?

お題「#この1年の変化」

屋台船・ダイアモンドプリンセス号・この辺りから、新型コロナ騒動は始まったんですよね。ちょうど一年から13か月前です。そのあといきなり安倍さんが「学校休み」って言い始めて。この辺りの変化は劇的でしたね。ほう・そう来たかあって。

同じ緊急事態宣言でも、この頃は数値はうんとこさ高いのに、会社もテレワークにあんまりならないし、学校も休みにならないし、出社人数を減らしているところが少ないのかいつも乗っている中央線はそんなに空かないしね。あんまり変化なしです。

阪神淡路大震災の時は、東京にいる私たちも右も左も分からない状態で、職場からボランティア建築技術者を派遣しましたし(けっこうな騒動だった)、姉歯構造書類偽造騒動では何だか知らないけれど、国土交通省の相談窓口に指定されて、電話は鳴るし、テレビカメラは来るしでよく分からない4か月を過ごしたし、東日本大震災では仕事の影響は最小限だったけれど、B電鉄の池袋駅はコンコースの照明が節電でうす暗くて嫌な感じなので(それがさあ、JR東日本の部分は電気が煌々としていて)(自前の発電所を持っているので何でもなかったらしくて)(B電鉄びいきのくろやぎはちょっとくやしかったけれど)我慢がまんと思っていました。

今の生活、大変ですか?

 

コストカットの鬼は

今週のお題「鬼」

20年以上、公益法人の本部に勤めていました。会員は1200人くらい、本部事務局は常時7名程度の職員がいて、役員さんのお世話や法人活動の補助をしていました。会員さんから預かった会費を適宜使って、組織のために有効活用し、その一部を給料として頂くというのが、公益法人本部職員の立場だったと思います。

この思いが、7名程度で推移する職員間の年齢、勤続年数、立場によって全然違うんですね。30代の職員三人、ぜんぜん感じていない。日々の職務が、つつがなくすすめばいいじゃんって、それだけを考えていました。そのくらい余裕がなかった、だって、本部に来る会員さんは、30代の自分よりも20歳以上は年上で、彼らの多くは自営業者で、顧客との折衝駆け引きに慣れていて、法人本部に来て、純真な?職員相手にちょろっとわがまま言うくらい屁でもなく出来ていて。それをこちらはさあどうしようかなあと思いながら、日々困りつつ悩みつつ次の会議までにどうやって起死回生するか、不思議な結果に決まった会議の結論を無難な方向に軌道修正するか、考えているのでした。ですから、30代の三名は、それぞれの担当の中で精一杯。

残りの4名のうち役員は別にして事務局長、事務局次長、総務課長、当時50代でみな20年以上勤続経験を有する職員、要するにくろやぎを含む30代職員の上司たちはまあ出入りする会員たちとも半ば友達または遠縁の親戚みたいな人間関係であり、日々の職員生活に大きな重圧もなく、役員たち相手に甘えたことを言っても半ば通用し、心は余裕しゃくしゃく、すると、急に(会員さまからお預かりした会費は1円たりとも無駄に出来ない)などと思うわけで、こちらがこれ買って下さいと言っても、ダメ、反対に、予算にない出費を会員に向かってむづかしいと伝達すると、電話を聞きつけた総務課長が会員に向かってその口の利き方は何かと口頭で注意する奇妙な職場でした。

くろやぎが40代なかばになりその総務課長が定年に近くなった時、会議で使った資料と、まとめていた紙ファイルをリサイクル処理していましたが、両面印刷の資料はともかくとして、ファイルはもったいないなと思い、もう一つの担当である講習会の受付用に使わしてもらっていました。きれいなんですね。クルマで言ったら新古車。つやもあり、紙ファイルのしわも汚れもなく。すると総務課長に言われました。あなたでしょう、ストックの紙ファイルをどんどん出して、新品をそんなに使われても困るんだよねって。うわあ、コストカットの鬼、本領発揮だなあって思いました。

その時は新品ではないことを正直に言い理解してもらいましたが、あたしが番人、とか、自分の目の黒いうちは許さない、という心境も、傍から見れば滑稽だなあと思いましたネ。

 

今だったら、定年前だったら、もっと分かってあげることが出来たかもしれないけれど

 

公益法人には25年勤めましたが、最後に来た役員と揉めて、早期退職しました。彼も改革の鬼で、自分は汗をかかずに口先だけでしたから、自分のことはじぶんでするくろやぎとは、根本的に相容れませんでした。

 

鬼って本人も大変なんでしょうけど、周囲も疲れるんです。できれば職場に鬼は居てほしくないですね。結局ひとりよがり、ですから。みんなが小さな鬼になって、同じ気分でいる方が平和でよいと思います。日本の組織にゴーンみたいな人は要らないと思いました。

 

ふるさと納税ねえ

今週のお題ふるさと納税

くろやぎは、幼少から東京は多摩地方の小さな町に住んでいるので、かなりの部分で、ここがふるさとだと思っていますね。ほかの町に納税したいと思ったことは一度もないですね。

生まれ故郷は川崎市、それもいまはなき、公団大宮団地です。今住んでいる町よりもずっとずっと川崎の方がどデカイ町だからね。何しろ区がある街ですものねえ。子供の頃大宮団地に住んでいた伯母に手紙を出すのに、川崎市大宮町 公団~ だったのに、あるときから、川崎市幸区)大宮町になって。

さいわいって字を覚えたのはその時です。

返礼品につられてふるさと納税する人も結構いるらしいのですが、自分の出身地以外の町に納税出来て、今住んでいる町への地方税納税が免除されるは、くろやぎにとって不思議で理解できない制度です。特産品の多い地方自治体にとっては物で釣ることもできるしね。だから私はふるさと納税は制度として存在しても構わないが、自分は絶対にしません。返礼品が欲しければ正当な値段で通販で購入します。送料が高い場合が多くって、まあしないと思うけど。

 

 

 

 

ハンコを押したとき

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

月並みですが、ハンコを押したときかな。

ひとり暮らしを初めてしたのは平成元年、山梨県甲府市に単身赴任した時でしたね。会社が用意してくれた小さなアパートに引っ越して、誰だろう、何屋さんだったかな、ハンコ下さいって言われて荷物の奥にあるハンコを必死で探して押して。世帯主くろやぎの誕生でした。

このとき、電話権ってのを買って、電電公社、いや、もうNTTになっていましたが、甲府電話局みたいなとこで、面白がって一番旧タイプの黒電話にして。電話権はいまなくなったのですが、たしか72000円でした。これを簡単に、(払おう)って思ったところが、独身ですよね。クーラー、冷蔵庫、洗濯機、みんなダイエー甲府店で揃えて。もうダイエーもないんですよね。

大人になったなあって思いましたネ。でもその時もう28でしたね。遅かったね。