黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

ワッペン列車のこと

その頃一介の私立小学校が、どうやってまあワッペン列車の座席を確保したのか、当時の先生の多くは他界されていて、また、もう聞くすべもなくて、分からないことが多いのですが、乗客一人一人にワッペンをくれるこの列車、くろやぎはかなり気に入っていました。

翌小学校3年の時は、新宿から(だったと思う)(解散は両国?だったかな)(記憶があいまい)ケープ犬吠号で銚子まで参りました。

新宿~千葉間は39kあまりあり、まだ電車の総武快速線は存在しませんでしたので、列車は全部、ディーゼル車か、汽車(SⅬ)。汽車は朝、晩の普通列車のみだったようですが、そのほかに貨物列車も担当していたようでした。昔の列車はいまほど冷房がありませんでしたから、遠足の季節、走行中に窓を開けていると、蒸気機関車がすれ違う前にブオッツと汽笛を鳴らすので、いつもドキッとしていました。70年から75年ごろまで、消えゆく蒸気機関車ってなかんじの、SⅬフィーバーが日本中に巻き起こりましたが、あたしがSⅬに興奮しなかったのは、単に汽笛が苦手(こわがり)だったためでした。

それにくらべて、ディーゼルカーは川崎の伯母のうちで、入換用機関車を見慣れていますから平気で、エンジンの振動も大好き(今でも)千葉までどこにも停まらないで、最高の気分でした。

ケープ犬吠号は、千葉から先は行きも帰りも、既存の普通列車に併結する形で進むのでちょっとゆっくりでしたが、でも、成東とか八日市場とか総武本線の知らない土地を通っていくのは楽しかったです。

銚子で降りた後、バスで犬吠埼に行ったり、銚子大橋を渡って茨城県側に行ったり、かなりあちこち行きました。

帰りの解散は両国でした。今の両国駅の、低い方が総武線、房総西線、房総東線などの急行の発着ターミナルで、この時は新宿と違って遠いので母が迎えに来てくれました。国電総武線(カナリヤ色の101系)に乗って一息つくと、電車は隅田川を渡ります。高度成長期、水が異臭を放っていましたが、今ではすっかりきれいになったそうですね。