黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

秋葉原はレコードの街?

この春に亡くなった実母の除籍謄本が必要になって、いや相続に必要なんだけど、中々重い腰が上がらくて、例の熊谷最高気温41度の日に、外出しました。行先は江東区役所です。

池袋から営団地下鉄、ううん、今は東京メトロですね、丸ノ内線に乗って、大手町まで行って、そのあと東西線に乗換えて東陽町まで。

途中にある、淡路町という駅、ふっと昔に帰りました。

1975年ごろ、母とここで降りたんですね。「朝日新聞に書いてあったレコードやを探す」というのが母の目的で。「何しろ大きなレコード屋さんでないと、あたしの欲しいレコードはない」というのです。

夏の、雨の降った日だったね。

秋葉原は電気街。大中小たくさんの電気屋さんがあります。あたしが、(短波放送もよく入る)ラジオを親に買ってもらったのもこの街。自分で買いに行ったのもここです。

レコード屋さんは、石丸電気の3号館。

(♪ 石丸~いしまる~でんきのことなら石丸電気、石丸電機はあきはばーらー、、、でっかいわあ)というテレビcmでその頃東京の人間ならだれでも知っている電気屋さんでした。

細長いビルが(5階くらいまであったか?)全部レコードだけしかなく。ジャンル別にたしか2階はジャズ、4階と5階はクラシック、といった具合でした。LPの頃です。在庫は半端なくたくさんあり、後年タワーレコードの出現であまり驚かなくなりましたが、輸入盤もあれば国内版もバッチリでした。これくださいとカウンターに持って行くと、店員さんは奥から店頭展示品ではない在庫を探してきて出して、ございましたといって、パッとパッケージを開けると、レコード面を見せてくれて、キズ、反り返りなどの有無を購入者が自ら確認するというものでした。当時そんな店はよそにはどこにもなく、一挙に信頼性が高まりましたね。LPと同じ大きさの、正方形の黄色い紙袋、紙面にはベートーベンとかビートルズとかのイラスト(和田誠調の柔らか~いヤツ)がほそーい線で書かれ結構うれしく、いいものでした。購入金額に応じて200円とか50円とか、細長い緑基調に黒く金額を書いた割引券をくれて、次回ご使用くださいと言われました。LPは定価販売だった?ので?そういう形で割引したのでしょう。

母が買ったのはたしかアレクシス・ワイセンベルグシューマン子供の情景ほか)であたしも好んで聞いていましたが、同じレコードにあるアベッグ変奏曲というおそろしく技巧の要る曲の方が好きでした。

探しに行った母よりも、くろやぎの方が、この店、すっかり、気に入りました。

それ以来、夏、冬の休みが始まると、1万円札もって、淡路町まで地下鉄に乗り、昌平橋の方から石丸電気レコードセンターに行きました。大体LP2500円くらいでしたから、今の廉価CDよりずっと高いです。クラシック2枚、ジャズ2枚を買って帰ってきましたネ。うれしかったなあ。

大学生になっても社会人になっても行き続けました。

ジャズはピアノが好きで、ビル・エヴァンスのレコードを買い始めようとしたら、大学4年生の時に、リバーサイド盤のLP全集が出たので、石丸電気に予約して。3万くらいだったかな。すぱっと、買いました。さすがに重いので、車で途中まで行って、取りに行きましたネ。

実家においてきたLP200枚ほどありましたが、諸般の事情で親父に処分してもらいその後、CD時代になっても石丸電気で買い続けましたから、今、手元にあるCDの7割くらいは同店で買ったものです。

不況とそれに伴う国内業界再編で、石丸電気は、関西資本なのでしょうか、オレンジ色と青を基調とするマークの大手電気会社に買収されて、姿を消しました。最後は細長いレコード(CD)センターも別棟に引っ越しを繰り返して。ああ、これは、って思いましたね。

そんなわけで、秋葉原はあたしにとってレコードの街でした。

ありがとう、石丸電気レコードセンター。お世話になりました。