黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

松の根っこで飛行機を飛ばす

何回か前の書込みで、あ、二宮駅前(ガラスのうさぎ)の時でしたね、反戦のこころって書きました、くろやぎです。

小学6年の時、(暮しの手帖)だったかな、学童疎開の時に松の根っこを掘った話を読みました。黒焦げに焼けた手帳に真紅のばらが一輪、という表紙の号でした。

自分の常識では、飛行機はジェット燃料とかそれ専用の燃料で飛ぶ、当然石油だろうって子供ながら思っていました。アメリカとの戦争で、日本は追い詰められていたんだと分かりました。まだオイルショックの前で高度成長期のおしまいの頃です。

最近になって、戦争関係の本を読んでおりましたところ、松根油のことが、詳しく出てました。なんでも、ドイツでは針葉樹から取ったテレピン油で燃料のオクタン価が上がり、戦闘機の能力が向上したとの断片的(かつ真偽のほどが分からない)情報を軍部が入手し、それ研究、ってことになって、もう南洋の占領地からタンカーで原油を運ぼうにも米国潜水艦に沈められてばかりで入ってこない、どうも松根油は国内に製造業者もあり製法もわかっている、松ならいくらでもある、掘れ~油を作れ~というさわぎになった。

その前段階で、鉄の供出、街道ウォークでもお寺の鐘が供出されたなんて今までたくさんありましたが、貴金属の供出、犬の供出などなどあったようです。何しろ資源がない、少ないアルミニウムの海軍と陸軍の取り合い、タンカーの取り合い、日本の場合陸軍も海軍も省庁も、今の公務員気質と同様でして、縄張り意識が強くて、敵の動静を見つつも、自分たちの地位保全にも力を入れたって話が、延々とありまして。

松根油も各地で作ったには作ったのですが、今度は輸送手段がない、各都市は空襲を受ける、鉄道はよく止まる、今と違って高速道路も舗装国道もないですし、ガソリンも統制品ですからトラック輸送はない、そしてドラム缶がない、ドラム缶を作る鉄なんかない、紙と何かで作ろうとしたけどダメ、そこで精製工場まで運べないから、みんな地元で使うようにというお達しが出る。苦しいですね、こういう調子で戦争しているんですからね。

松根油による航空燃料はほとんど実用化されなかったようです。不純物が多くて、エンジンがダメになってしまうらしくて、自動車の燃料に転用したけれど同様の結果だったとの記録がありました。ただ、上記の各種資源の供出の中に、木材の供出というのがあったらしく、松の切り株はたくさんあった、そこで、日本中が松を切り倒すということだけは一部例外を除き避けられた。

東海道の松並木、無くならなくてよかったですね。

今回は次の図書を参考にしました。

鳥居 民:昭和二十年 第6巻(草思社 1996年)

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