黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

川崎まで伯母といく

いつか申しましたが、川崎の伯母の所まで、よく行っておりました。団地の目の前を国鉄が通ってましたので、電車が見たくて行ってました。昭和40年ごろ~昭和53年まで。

 

自分としてはだいぶ大きくなったと思った昭和43年の夏休み、伯母が、どこか途中まで一人で来られるかい??というのです。そのとき、小学校2年生でした。ぜひ、単独行動したい黒やぎは二つ返事で、四ツ谷駅(中央線)で待ち合わせることになりました。小2でしたが、電車の行先に関しては漢字も読めましたので自信がありました。

まず、B電鉄で「池袋」上り電車はみんな池袋でした。現在の様に「新木場」とか「元町中華街」なんて、いじわるな行先はありません。準急が各停の違いはあっても池袋

国電山手線は、薄緑色の電車で表記は「山手」でした。内回り、外回りも区別がつきました。ホームで「新宿渋谷品川方面」にのっかって新宿へ。

(ちなみに、山手線の線路を橋上などから見て、山手線の円の内側を走っている方が「内回り」外側を走っている方が「外回り」です)(地方から東京に来た時に、役に立つよ)

新宿の駅でオレンジ色の中央線に乗っていきました。

「あっさりと」四ツ谷の駅に着き、伯母がそのころ好きだった中華料理を食べに行ってから川崎を目指します。中央線の終点は東京なのですが、伯母は「神田駅の方が歩かない」というので、一駅手前でおりまして、水色の京浜東北線に乗換えます。そのまま川崎に行くのかと思えば、食料品を買いたいので「大井町」で降りるからといいます。

伯母の好きな「大井町阪急」で食料品を仕入れるのにまあ女性の買い物ですから、早くはない、〇〇・・いや✖✖・・いや▲がいいかなあ?? 独身者ですからあたしに気を使って、よけい買い物に時間を要する。おんなの付き合いは気が長くないと保たないね

用やっと大井町の出札口で「川崎まで 子供一枚」と言わせてもらって、というのもあのころ、自動切符売り場には国鉄大人30円区間の自販機がほとんどで、大人30円の切符一種類だけ売っていて、こどもきっぷは窓口で買っていたので。やれやら、大井町の階段を上がり降りしてホームに上がって、京浜東北線(南行き)を待ちます。いいあんばいに磯子桜木町、東神奈川行のいずれかが来れば幸運ですが、そんなときに限って一駅手前で車庫に入ってしまう

「蒲田行」

がやってきたりするので、これで自分のイメージ通りには、なかなか川崎に行きつけないのでした。もどかしいのう。

うす曇りで決して空気のよくない川崎駅西口に降り立ったのが、もう夕方でした。でも通りから4階建ての川崎市営住宅二棟を抜けて、背が低く15ワットの蛍光灯が縦に3つくらい入っている公団大宮団地の街路灯を見て、南武線そのほかの電車通過音を聞くと、

ああ、また川崎にやってきたあ、

と感激してたのでありました。