黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

東神奈川の思い出

 ひとつ前の職場、30歳前後の頃、多摩地域のあるまちで3年ばかり、仕事をしていました。地味な30人くらいの会社で、営業用のコロナバンが3台ありました。昭和から平成に移るころで、そのころ男子は車の免許を持っているのが当たり前な風潮でした。

それでも、個人企業の会社ですから、社長の趣味で、上記のコロナバンはみんなAT車、買い替えたばかりの新車で、あたしら、納品、ルートセールスに行くのでした。黒やぎが担当したのが一番遠い、東神奈川の会社。T電の孫請け会社で、60歳くらいの

おじいさん社員がやたら威張っていて、緊張しながら納品し、最敬礼して次のモノを預かるって感じでした。納品が終わって、東神奈川の路地に入ると、ふっへーと自販機で当時発売したばかりのカルピスウォーターを夏はがぶ飲みでした。

国道一号線を西に向かって、反町の東横線ガードをくぐり、保土ヶ谷インターから第三京浜で東京方面に戻るのですが、(燃費走行)と称して一番左の車線を70kくらいでのろーく走ったりして、営業外出ドライブを楽しんでおりました。

そのころ、東神奈川には高いビル類はほとんどなく、北口側の高層集合住宅だけが目立つ建物でしたね。

社長が怖いので、まっすぐ会社に戻っていましたが、時々(今日は社長休み)ってときは、横浜駅の方の、ホテルリッチ横浜の近くにあった、鉄骨造2階建ての少し危なっかしい有料駐車場にコロナバンを入れて、西口の相鉄ジョイナスで(カレーハウスリオ)のコクのあるカレーか、東口ルミネの上の方にあった崎陽軒のレストラン(太陽っていったかな?記憶があいまい)かパスタ(あるでん亭)でお昼を頂いてました。

もう、東横線も地下化されて、反町駅のガードなんてないんだろうなあ。