黒やぎの(てくてくわくわく 街道ウォーク)番外編

ふとした事から街道ウォークの付き人になった黒やぎのひとりごとです。ルピナス主宰の(てくてくわくわく 街道ウォーク)(http://kaz-mt-wisteria.hatenablog.com/)とあわせて見てくださいね

何処にも行かなかったけれど

子供の頃って、もちろんくろやぎの育った家庭のことですが、特にどこにも行かなかったですね。今と違って、みんなで初詣に行ったり車で初日の出したのかどうかもわかんない(携帯もスマホもないからすぐ連絡できないし)ンだけど、うちは3日間おこもりみたいな生活していて、元日の朝は、自分は普通に起きると、母はおせちの準備していて、そのうち父が起きてきて、一本(日本酒のおかん)をつけろといい、大関だか剣菱だかの一升瓶から(日本酒も醤油も一升瓶しかなかった)母が柿の絵柄の書いてある徳利に入れて、父が大して飲めないのに日本酒なんか飲んじゃって、そういうのを見るのが楽しい正月でありました。

昭和43年の暮れは、父の賞与が思いのほか多かったらしく(N360がめちゃくちゃ売れていた時代)いきなり駅の反対側にある第一家庭電器で、ステレオセット一式を(月賦で)買っちゃって、とても喜んでいたころですからね。ステレオセットはパイオニア製でソリッドステート(スイッチを入れるとすぐに音が出る)で、スピーカーから「ボンっん」って大きな音がして、水色の文字でFM・AMチューナーが立ち上がって。なつかしいですね。FM局がNHKとFM東京の二局しかなかったですものね。

父親の録音したオープンリールのテープレコーダーに

高森和子の朗読、私の本棚(NHK第一放送 みんなの茶の間のなかの一コーナ)

アルゼンチンタンゴの紹介番組(NHK-FM)など長いこと残っていました。

今の自分は初詣も行くしおせちも食べるけれど、このいい加減な正月も、父親がいるだけで結構楽しいものでした。

 

さあ新年になりました

2020年になりました。

いやあ、年末に更新しようと思いながら、結局今日になりました。明けましておめでとうございましす。季節風の吹く冬らしい元日になりましたネ。

さあ、街道ウォーク、今年はもうすこしがんばらないとね。いま静岡駅ですから、まず島田宿、中目標は掛川宿、大目標は浜松、きのう、ルピナスの参考資料を見ているけれど、小さな峠があるんですよね。二か所?。まだ寒いし。大丈夫かなあ。脚がもつかなあ。

 

今年は少し更新頻度をあげましょう。全国にくろやぎの読者様がだいたい7名くらいいらっしゃるようなので、もっと内容のあるものを読んで頂けるよう、がんばりましょう。それを目標と致します。

2020年もよろしくお願い致します。くろやぎ。

東映映画「大いなる驀進」を見た

5時に目覚めたので、衛星放送の番組表を見たところ、1960年制作の東映映画「大いなる驀進」が放映時間になったので、ゆっくり見せてもらった。

中村嘉葎雄佐久間良子・中原みとみ・三国連太郎・久保菜穂子・花沢徳衛小沢栄太郎、等々の方々を見ることが出来た。当然のことながら、みな、若い。くろやぎの生まれたころですからねえ。

舞台は寝台特急さくら(東京→長崎)当時の国鉄全面協力でロケが行われている。丸ノ内側で中村嘉葎雄(列車給仕さん)と佐久間良子(いまでいうOLさん)がもこもこ言い争っているところから始まり、旧丸ビルや国鉄本社などさりげなく映る。まだ建築基準法で高さ31m制限のある頃で、高層ビルはない。空が広い。

16時35分に発車するさくら、○○党の代議士(とても偉そうにしていて俳優さんが上手い)と秘書からあやしいやくざまで、沢山の人が乗り込む。新婚さんが主要駅で乗り込み、みんな会社の同僚が万歳三唱と歌で見送る。いいねえ、プラットホームは人で一杯。50年後、寝台特急が夜行バスや飛行機に負けて、時代遅れになって、ホームはひとがまばら、乗客3割くらいで廃止になるなんてとても思えないよね。

時々、先頭からの風景が映る。六郷川の鉄橋シーンがあり、川崎生まれの私はとても嬉しいですね。

東映の映画ですから、何といってもアクション、新藤兼人の脚本はとてもよく出来ている。薬を飲んで死のうとする大学教授、たすける医者の小沢栄太郎下関駅ではやくざ同士の殺傷事件、一方の持っていたチャカ(拳銃)が故障中で刺される。

一番困ったのは台風19号に遭遇したさくら号、三原駅の先で線路に軽い土砂崩れ。岡山から非電化区間で、SⅬのⅭ62が牽引しているのですが、機関助手の天才的な目の良さと勘で大雨の中急停車。保線区の二人のおじさんだけでは間に合わない。車掌長の三国連太郎、給仕の嘉葎雄をはじめ、食堂車の男性クルーたちも土砂の撤去作業に手伝い、彼らの白い服は土で汚れる。何しろ福岡県の実家に帰る娘さん(母危篤の連絡を受けて急いでいる)、翌日14時までに長崎に血清を運ぶ役の久保菜穂子、のためにも、列車を遅らせるわけにはいかない、ってんで、東映の女優さんたち、佐久間良子中原ひとみ(食堂車のお嬢さん)久保菜穂子も出て行ってぬれねずみになりながら男たちと一緒になって手伝う。

えらいなあ、女子なのに感心する、やっぱり戦争をくぐってきた人たちは違うなあ。

食堂車に何故か予備の着替えの服があって、準備がいい。佐久間良子は普通の体格だが身長と肩幅のある久保菜穂子の服も、きちんと用意されていて、サイズがピッタリである、全然つんつるてんではない。とてもよく出来ている映画だ。

下関で機関車の付け替え、関門トンネルを抜けて、架線工事中の鹿児島本線を驀進。土砂崩れでダイヤは30分遅れているのだが、下関、博多、終着の長崎、到着時間を示すホームの大時計はきちんと30分ずつ遅くなっている。さすが日本国有鉄道である。

ハハキトクの娘さんも間に合う。地上駅ですぐ改札口だった博多駅。駅弁を売るように「博多織は~いかがですかあ。博多人形は~いかがですかあ」という売り子さんの姿が映っている。そうなんだよね。夜中だった大阪や岡山、広島以外、どこでも駅弁などの売り子さんの姿が映っている。各駅の停車時間は駅弁を買いに行けるくらいで、当時の時刻表を見ると名古屋2分、大阪3分、岡山は機関車の付け替えで5分、広島も5分、下関4分、門司4分、博多は後ろ6両切り離しで5分。下関と門司は岡山同様に機関車を取り換えるが4分。昔の鉄道マンは仕事が早いなあ、特急だから特別配慮なんでしょうねえ。

海沿いをSⅬに引かれながら走る20系客車の姿がとても美しい。

佐久間良子は、愚図で(この仕事辞めたい)などと言っている嘉葎雄に向かって、車掌長の三国に言われた業務命令を渋る姿を見ると(三原駅まであなたが行ってらっしゃい)と尻を叩き、自分も雨の中を作業を手伝い、ルックスはどう見ても東京のお嬢さんにしか見えないのに、気合が入っていて、さすが東映の女優である。嘉葎雄はすっかり興奮して、この仕事は辞めない、長崎に着いたら結婚しようなどと口走るところがいい。

この映画、タイトルだけは知っていた。むかし、小学校の同級生、鹿子木くんに借りて読んだ鉄道ジャーナルという大人向けの鉄道雑誌に(鉄道を舞台にした映画の中では一番である)と小さなコラムが書かれていた記憶があった。

見てよかった。

5時に目覚めてよかった。

超、鉄道マニアの記事すみません。最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

ハマったね

今週のお題「2019年買ってよかったもの」に応募

以前に、東京は秋葉原にあった、石丸電気レコードセンターで買い物をした話を致しました。そう、1976年から10年以上、LP買いまくり時代でしたね。結婚前のルピナスと一緒に行って、赤い大判のビル・エヴァンス(ジャズピアノのひとね)リバーサイド盤LP○○枚全集なんて買って、電車で帰るのはとても重いので、新宿にクルマを停めておいて積んで帰った、なんてことがありました。その時車を置いていた甲州街道沿いのほんの小さなパーキングは、いま、バスタ新宿の一部になっていますね。

ジャズの方は、過去の名盤を求めていましたが、クラシックの方は、反対に新譜、あたらしい録音、ひたすら追い求めていました。録音状態第一で、過去の名指揮者、たとえば、フルトヴェングラーワルタートスカニーニなど、避けていました。クレンペラーなんかも。その頃は、カラヤンカール・ベームも健在でしたし。

それがですね、最近、ここ、10年くらい、変わってきているんですよ。

CD時代になって、特に今、CDが売れないでしょ、みんな曲のさわりだけSNSで聴いて、その部分だけ取り込んで、お金かけないからね。時代に関係なく書くと、2500円のLP、はしりのころ、3500円だったCD、(うちにあるやつだと、アシュケナージフィルハーモニア管弦楽団モーツァルトの協奏曲は35でしたね)3000円均一に近い、国内アーチストのCDが、クラシックの全集になると数枚組で4000円台とか、安いんですよね。

それと、CD復刻の際に、今の最新技術と、耳と腕の良いチュウナーさんのお仕事の結果、LPの昔よりもはるかに聞きやすいものに仕上がっているように思うんですね。あと、アマゾン等のネット通販に、そういった良い商品が出品されていることも大きい。ジョージ・セルクリーブランド管弦楽団、私の幼少期の録音だけど、いいエッセンスをしていて、この指揮者、こわいだろうなあと感じられる端正なベートーベンやブラームスを聞くことが出来ます。

あたしも、年取ったのかもしれないけどね。

 

そんなことしの後半は、ブラームスのドイツレクイエムとつきあうことになりました。準備したCDは、どれが良いのか分からなくて、アンノンクール+ウイーン・フィルのもの、そのあと追加したのが、カルロ・マリア・ジュリーニ+ウイーン・フィル(だったかな?)そして何故かここに、オットー・クレンペラー+フィルハーモニア管弦楽団のがやってきました。

かなり長いことアンノンクール盤を聴きつつ、3曲目あたりであっけなく睡眠薬、にぎやかな2曲目と6曲目が長すぎて少し飽きて、結局全貌がつかめない、そんな日々でしたね。ところが、ジュリーニさんですこしづつ、頭の中が整理されてきて、クレンペラーで、明確にはっきりと。してきたんですよ。ブラームス

裏を見ると、録音が1961年、あたしと同年齢の、もう半世紀以上まえの演奏で、21世紀の演奏とは時代が違う部分、あるんだろうけれど、やや残響の長いホールで、合唱団がもうめいっぱい歌っている部分も、ゆっくりゆっくり進行していく部分も含めて、聞いているだけで、むかーしの、白黒の、クラシック音楽映画、重厚なやつの光景が目に浮かぶんですわ。

曲にも、合唱にも、ハマりました。ありがたいことです。

音楽鑑賞の時間

今でもあるのでしょうか?中学校の音楽鑑賞の時間。音楽の授業で、一定時間、クラシック音楽などを(聴かなくてはいけない)時間。あれが、心底好きな人はどれくらいいたのでしょうか?

中学生の時、あたしは、カーペンターズ一筋の洋楽ポップスファンで、音楽鑑賞の時間はひたすら、じっと、時間の経過だけを待っている普通の生徒でした。

でも、私の居た少人数学校の✕学園は、違うタイプの音楽鑑賞もありました。

中学高校一貫校で男女別学。昼食は食堂の代わりに使っていた昭和10年代建築の古い体育館で一堂に会して食べていました。そのあと報告の時間、外部講師のおはなしなどの中に、安部道雄先生の(音楽鑑賞の時間)がありました。

センセイは60代後半になる数学を教えて下さる方でしたが、大変なクラシックファン。しかし、こちらは中高のいわばガキどもです。

センセイはご自分のLPレコードを持参されると、このあたりをかけてくれと生徒に命じ、交響曲管弦楽曲など、わざと?にぎやかな楽章を選び、その中間部分でテーマがガラッと変わった瞬間、椅子からすくっと立ち上がると・・右手を高く上げて人差し指で天をさしながら

「ここ・・・ここがいいんです。」

と一言だけ、私たちに直球を投げて、すぐに着席。野武士のような古風な顔立ちの先生が一瞬だけニカッっと笑顔になります。

ほどなく当該楽章が終わると

「演奏は〇〇指揮の△▼フィルハーモニー管弦楽団でした」といい余計な解説はしないでぱっと終了するのでした。おばかな中高生は大拍手。(すぐ終わるので)

 

くろやぎ、感心したんです。あ、こういう、(いいものはいい、好きなものは好きだ。私はこの曲、この部分が大好きだ)という愛好の仕方もあるのだなと。理屈抜き、勉強要素なし、感覚で聞くのもアリ。

自分に合っていたね。

 

そのあと、高校一年の時、母親が放った小さな一言から、クラシック音楽をレパートリーに入れるようになりました。いまでは、市民合唱団に参加して歌う傍ら、その課題曲を何種類かアマゾンで頼んでは、比較鑑賞するのもいける、クラシックがそこそこすきな初老のおじさんになりました。その気になると、嵌る性格のようです。

 

あれから、もう40年以上前になりましたが、今でも、先生の天井を指さす姿が脳裏に浮かび、ここがいいんです、という声が聞こえてきます。

ちょっと風変わりで、とても良い先生でした。

おかげで、人生の幅が広がったような気が致します。

あの時は本当にありがとうございました。