川崎です。
以前も書きましたが、あたしの生まれたのは、川崎です。いま、高層住宅や音楽ホールのある川崎駅の西口。昭和の終わりまでは、国鉄の線路のそばに、変電所、川崎市営住宅、それに住宅公団の大宮団地がありました。町名も大宮町というところ。
あたしの両親が、全人生のほとんどの運を使って、抽選倍率ウン百倍の、この公団住宅を当てて、昭和33年に移り住み、そのあと、あたくしが生まれました。
生まれてすぐに、父親の転勤で引っ越しましたので、川崎は単なる出生地です。
せっかく当てた公団住宅は、母の兄弟や祖母が住んで、建て替わった今も権利を持っているそうです。母の6歳年上の伯母が優しかったので、よく泊まりに行きました。
昭和40~50年代、団地3階の窓からは、夏の大空が見えました。線路の向こうは改装前の、いまはなき、(さいか屋)そして、縦形の看板が小さく見える(ミスタウン)前の棟、二棟の間からは、東海道線の線路が見え、一番早い南武線の始発電車が、矢向から川崎にやってきます。たしか、4時30分頃。子供の頃の電車は吊り掛けモーターですから、音が大きいのね。優美な20系の寝台特急、働き者の貨車入換用機関車DD13、チョコレート色の南武線72系、子供の頃に帰りたいって、川崎を通るたびに思います。
おじさんからパンフをもらった。
箱根峠の少し先に、元は大ドライブインだったかと思われる大駐車場。自家用車が10台くらい停まり、皆さんがのんびりとしています。店屋のないだだっ広い駐車場というのも悪くないが、箱根旧街道は、この後何処に行くのでしょうか?と、わたしもルピナスも困惑気味。ゴルフ場に向かうらしい車道が、国道と別に右へ伸びていますが、ここ?
と思っていると、沼津ナンバーの乗用車に乗って休憩していたおじさんに呼び止められました。山中の方にいくの??フレンドリーな人でした。おじさんはどこかに消えると二分後にやって来て、これで行きなよって、パンフをもらって。
実は、ルピナスのガイドブックとともに、くろやぎが用意する今の静岡の地図、箱根よりが縮尺がでかくて、旧道は全く記載がなく、山中まで行くのに不安だったんですよ。いやあ、おじさん、助かりました。
パンフレットはA4見開きで、箱根峠の入り口から山中、塚原、ずっと下の三嶋大社まで旧街道のことが詳細に記載されて。史跡のイラストも入り、とても参考になりましたよ、著作権がありますから表紙だけに留めておきますね。
湖は、半分霧がかかって
東京はずっと酷暑でしたが、箱根登山バスで関所跡まできてみると、結構涼しく、また山並にうっすらとガスが出ていて、いい感じでした。風も熱風ではなくて助かります。
芦ノ湖周辺は、新築の黒っぽい和風のお店が結構ありますね。箱根そば、箱根の地酒、山のバームクーヘンとか、以前はなかったであろう店舗や小ぎれいなホテル。
その分だけ、場所はいいのですが、昔ながらのお店、昭和の頃のコカコーラやファンタと一緒に太い字で名前が書いてあるお休みどころ、〇〇茶屋、△見晴台など、スマホで紹介されることもなく、流行りから取り残されて行ったお店は、シャッターが閉まり、駐車場こそあれど、自動販売機だけがそっと動いているようです。
ちょっとさみしいな。箱根の地酒?聞いたことないし。
歩きだしは涼しく、僅かな山道の登り、階段もこなして、箱根峠まで参りました。